インフィニティー・ブルー 上

平井和正

   犬鷲の子ら

 自分の葬儀の夢を見ていた。霊柩車の中の棺の中に、彼は亡骸として横たわっていた。亡骸はすでに彼の意のままにならず、硬く無感覚だった。
 不思議なことに、死骸でありながら、周囲のありさまはよく見えた。霊柩車の車体の壁を透して流れ去る暗い町並みを棺に横たわった彼は見ていた。空は暗く、中天にある太陽は色が反転して黒かった。
 場面が変わると、棺は人々の手で運ばれていた。喪服の人々がすでに深く掘り返された墓穴の周囲に集まり、運ばれる棺を見つめている。友人、知己の顔がはっきり判別できた。しかし、彼らは仮面をかぶっているようだった。冷たい風が墓地を吹き抜けて行くために、凍てついていたのかもしれない。その風は棺の中の彼の亡骸を吹いた。無感覚な死骸であるにもかかわらず、彼はその風の冷たさを額に感じ、寂しい風音を聴いていた。
 黒衣の司祭の祈りの声は耳に届かず、額だけが冷たく、彼が聞いているのは、ただ吹きすぎる風のざわめきだった。


 不吉な夢が彼を解放するまで、広いベッドの上をどれだけ輾転反側したのか、最後にはベッドから転げ落ちかけて、その途中で覚醒したのである。
 結果的に、ベッドから転落せずに済んだのは、大きな手が現れて、彼のパジャマの肩を掴んだからだ。
「大丈夫ですか? だいぶうなされていましたね」
「ジャン?」
 まだ半分意識がまがまがしい夢に囚われており、彼ははっきりしない声をだした。もちろんジャンだ。彼の寝室に自由に出入りし、彼の身の安全を計る人間は、ジャンしかいない。ジャンは彼の祖父であるオールドマンに雇われ、彼の護衛を昼夜続ける用心棒である。
「済みません。あまりうなされかたがひどいもんで」
 ジャンが謝罪した。用心棒はその護衛すべき相手のプライバシーを必然的に侵犯するものだが、寝室にまで押し入ってくることはあまりない。
「ひどい夢を見てた。起こして貰ってありがたいよ」
 ジャンは大男だ。壁のような巨大漢という意味ではない。肩幅は広いが腰が締まっている。猫のように足音を立てずに歩く特技の持ち主だ。顔は普段は無表情だが、皺が多く、時折笑うと狡賢い狐のような笑顔になった。西部劇の俳優リー・ヴァン・クリーフに似ていた。
「真昼の決闘」の黒服の殺し屋ガンマンが嵌まり役の印象的な性格俳優だ。メフィストフェレス、と彼はジャンを呼んでいた。
 彼はベッドから飛び出すとパジャマの上着を脱いだ。汗をべったりと素肌にかいている。あの不吉な夢に相応しい量の夥しい汗だ。パジャマのズボンも脱ぎ捨てて、浴室へ駆け込む。
「今、何時だ?」
 浴室のドアを開けながら振り返った。大柄なジャンが壁の時計を指さした。九時近い場所を短針が差しているが、分厚いカーテンが寝室を閉ざしているため、午前か午後か区別がつかない。
「午前、午後?」
 もちろん午後です、と大柄なジャンがいった。彼はグロッグを常時肌身はなさない。シャワーを浴びている時も、手元に置いている。本物のプロなのだ。もちろん祖父が雇うからには、最高のプロフェッショナルであるに決まっている。
 ジャンには親しみを感じていた。祖父はその親しみやすさをもって、ジャンを選択したのだろう。本物のガンマンに親しみやすいキャラクターは求めにくい。メフィストフェレス的な親しみやすさが気に入っていた。それが本物である保証はないが、気に障らないのがよかった。
 シャワーを浴びた。大きな鏡に十七歳の、少年のほっそりした繊細さを留めた肉体が映じている。細身だが、十分に鍛えた体だ。成人の太い筋肉はまだ育っていない。シャワーの刺激で、悪夢に苛まれた頭がしゃっきりと冴えた。
 あのやろう、と思わず呟く。午後九時だと? そんなはずは絶対にない。ドラッグの類は避けているので、彼の生理的リズムは正確なのだ。昨夜は夜更かししたが、午後になるまで惰眠を貪るわけがない。

 
 
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