集英社文庫・鎌倉殿の四大傑作!!

鎌倉幕府相関図

評者:細谷正充(書評家)

『天馬、翔ける 源義経』

安部龍太郎著

激動の時代を天馬が翔ける
「判官贔屓(ほうがんびいき)」という四字熟語がある。辞典を見ると、敗者や弱者、薄幸の者に対し、同情を寄せたり、応援したりすること。また、その気持ちとある。源義経(みなもとのよしつね)が、兄である頼朝(よりとも)に妬まれて滅んだという不幸に、世間の人が同情したことから生まれた言葉だ。なお判官は、義経の得た官職名である。
 このような四字熟語の元になったほど、義経の人生は日本人の琴線に触れるものであった。したがって昔から、義経を題材にした物語は多い。歴史小説でも、無数の作品が執筆されている。その義経と頼朝を中心に、源平合戦から鎌倉幕府創立期を活写したのが、安部龍太郎の『天馬、翔ける 源義経』(初刊時タイトル『天馬、翔ける』)だ。第十一回中山義秀文学賞を受賞した名作である。
 物語は平氏討伐の決起を促す以仁王(もちひとおう)の令旨(りょうじ)が送られてきたことを知った頼朝・義経の兄弟が、対照的な反応を示す場面から始まる。伊豆で流人(るにん)生活をしている頼朝は、北条(ほうじょう)一門の政子(まさこ)を妻とし、大姫(おおひめ)という娘も得た。しかし神経質で小心者の頼朝は、妻も義父の時政(ときまさ)も信じられない。以仁王たちの決起にも応じようとしなかった。だが周囲の状況に追い詰められ、ついに平家討伐のために立つのである。
 一方、奥州藤原(ふじわら)氏の庇護(ひご)を受けて闊達(かったつ)に生きている義経は、以仁王の決起を知り、愛するお冴(さえ)という女性を連れて無計画に出奔。だが、すぐに捕まり引き戻される。それでも懲りることなく、兄が決起すると駆けつけるのであった。
 このように兄弟の性格は正反対だ。後の頼朝と義経の確執を予感させる、巧みな書き出しであり、一気に物語にのめり込んでしまう。
 また、頼朝が悪夢を見るシーンにも留意したい。というのも、日本の歴史を俯瞰(ふかん)したデビュー短篇集『血の日本史』に収録されている「奥州征伐」が、頼朝の悪夢のシーンから始まるのだ。そして目覚めた彼は、(わしは臆病者だ)と思うのである。神経質で小心者という頼朝像は、作者の中でこの時点から確立されていたのだ。だとすれば、義経を始めとする他の人物の肖像も、デビュー当初から作者の胸にあったのではないか。これを長年にわたり涵養(かんよう)してきたからこそ、本書の誰もが生々しい魅力を持った人間となったのであろう。
 さらにストーリーの面白さも見逃せない。作者は史実に沿いながら、義経の父親について含みを持たせるなど、独自の視点を投入。日本民族の来歴について書かれた部分は、興奮しながら読んだ。愛妾(あいしょう)の静(しずか)が鎌倉に囚(とら)われ、義経が奪還しようとする終盤など、波乱に富んだ展開も楽しい。長大な物語なので、個々のエピソードに触れる余地はないが、自ら動かした時代の流れに翻弄されながら、一所懸命に生きる義経の人生を堪能(たんのう)してしまったのである。
 同時に、頼朝の人生も堪能した。平家を滅ぼし、鎌倉幕府という日本初の武家政権を創立した男。ところが私生活では、妻の政子との関係がギクシャクし、愛妾の亀姫(かめひめ)に入れ込む。義経の敵役(かたきやく)ではなく、血肉を持った一個の人間として描かれているのだ。いろいろと生活の苦労を抱えている中高年の読者なら、義経より頼朝の方に感情移入してしまうかもしれない。
 さらに女性陣の存在感にも目を向けよう。作者は近作『家康』で、徳川家康を取り巻く女性たちを大胆にクローズアップしたが、そのような方向性が本書からも窺(うかが)える。北条政子・亀姫・お冴・静・大姫。登場する女性たちは、男性の添え物になることなく、独自の魅力を発揮しているのだ。なかでも政子の描き方に、大いに感心した。最初、伊豆弁で喋(しゃべ)る田舎臭い女として登場した政子は、言葉使いを改めるのと歩調を合わせるように、冷酷な一面を露(あら)わにしていくのである。政子が話すたびに、その言葉には裏があるのではないかと、背筋がゾワゾワした。義経や頼朝に負けない、強烈な印象を与えてくれるキャラクターなのだ。
 また、後白河法皇(ごしらかわほうおう)の扱いも注目に値する。初期の作品から帝(みかど)≠ニ朝廷≠ノこだわり続けてきた作者だが、それを抜きにしては日本と日本人を語れぬという思いがあってのことだろう。義経と心を通わせながら、したたかに立ち回った後白河法皇を通じて、このことが追究されているのだ。本書で興味を抱いた人は、後白河の帝と上皇時代を題材にした『浄土の帝』を読んでほしい。
 最後に、本書のラストについて。周知の事実だが頼朝と対立し、全国に捕縛の命が出された義経は、奥州に逃げ帰ったものの、追い詰められて自害した。だが作者は、その死の手前で物語を終わりにしているのだ。義経は史実通りに自害したのか。それとも伝説にあるように、密かに生き延び、大陸に渡ってジンギスカンになったのか。史実と伝説の、どちらを選ぶかは、読者の自由だ。このラストは、私たちが義経に何を託すのかという、作者の問いかけなのかもしれない。

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評者:末國善己(書評家)

『義時運命の輪』

奥山景布子著

義時が騒乱と謀略の先に見たもの
 平家を滅ぼし鎌倉幕府を開いた源(みなもとの)頼朝(よりとも)は、一一九九年に急死した。嫡男の頼家(よりいえ)が二代将軍になるものの、一三人の有力御家人が合議制で政務と裁判を行うことが決まる。そのメンバーに選ばれた北条(ほうじよう)時政(ときまさ)と息子の義時(よしとき)は、政敵を次々と滅ぼし、得宗(とくそう)専制と呼ばれる北条家の独裁体制を確立していった(得宗は義時の別称)。
 本書は、血で血を洗う抗争が繰り広げられた鎌倉初期を、中心人物の義時を主人公にして描いている。著者は、滅亡後の平家の女性たちを追った短編集『源平六花撰』がデビュー作だけに、鎌倉初期に着目したのは必然だったといえる。
 若き日の義時は、平家方の大庭(おおば)景親(かげちか)との戦いで敗北したり、時政の寵(ちよう)愛(あい)を受ける後妻に分家へ追いやられるのではと疑心暗鬼にとらわれたりする、ナイーブな人物だったとされている。だが、平然と非情な決断を下す頼朝と不利な状況を巧みに逆転する姉・政子(まさこ)の近くで働くうち、義時はしたたかな政治力を身につける。
 義時がその本領を発揮し始めるのは、頼家の乳母一族として権勢を振るう比企(ひき)氏を滅ぼし、頼家を幽閉、暗殺した事件からである。義時は時政や政子と連携して北条家の権力を拡大したとされるが、著者は、比企氏出身の妻・姫(ひめ)の前(まえ)と引き裂かれ、頼家の息子・一幡(いちまん)を手にかけた義時が大きな虚無を抱え、それを埋めるため父と姉からも権力を奪おうとしたとする。それだけに敵だけでなく味方にも向けられる義時の謀略戦は、凄絶を極めていく。政争の被害者ともいえる義時が、兇悪な加害者に変じる展開に触れると、社会を混乱させる怨念を生みださないためには何が必要かを考えてしまうのではないだろうか。
 こうした殺伐とした中で清涼剤になっているのが、和歌などの文化に関心を寄せる三代将軍・実朝(さねとも)の存在である。勝利したとしても一瞬の栄誉しかもたらさない政争と、永遠に記憶される文化の対比は、歴史に真に必要なのはどちらなのかを問い掛けており、強く印象に残る。

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評者:北大路公子(エッセイスト)

『星月夜の鬼子母神』

篠綾子著

彼女は幸せだったのか?
 彼女は人生というものを、あるいは運命というものをどう捉えていたのだろう。
 鎌倉幕府初期、源氏の乳母(めのと)一族である比企(ひき)家に生まれた姫さま。後に「若狭局(わかさのつぼね)」と呼ばれる彼女の少女時代から物語は始まる。
 彼女は明るく勝ち気な子供であった。と同時に、繊細で思慮深くもあった。小さな二人の弟と、時には源頼朝(みなもとのよりとも)の息子・頼家(よりいえ)までをも巻き込み、伝説の武将に扮(ふん)して大蜥蜴(おおむかで)退治の真似事(まねごと)に興じる一方、その幼い瞳で冷静に世の中の無常さを見据えていた。実際、彼女は驚くほど多くのことを理解している。
 人の身分や立場がいかに脆(もろ)いものか、命がどれだけ儚(はかな)いものか、そして女の一生が夫の功勲にどう左右されるのか。
 たとえば、義経(よしつね)のもとに嫁いだ従姉(いとこ)は、ある日突然、大波に呑(の)まれたように人生の全てを失ってしまう。個人の意思や願いは何の意味も持たない理不尽さを目にして、比企家という名や力もまた、安泰を約束するものではないことを彼女は知るのだ。
 裏切り、奸計(かんけい)、謀略、そして命乞い。
 未(いま)だ権力を巡って混乱する世において、大人たちの周りは常にきな臭く、それは彼女自身への脅威に他ならない。いずれ我が身を襲うかもしれない大波の気配の中で、成長していくのである。
 とはいえ、若狭局は決して弱く哀れな姫ではない。従姉の悲運は頼朝と義経が悪いのだと憤り、「仇(かたき)は私が討ちます」と、それを言ってはまずいのでは……と私ですらわかることを堂々と口にする勇ましさと優しさを併せ持つ女性となった。相変わらず弟たちを従えながらも、年頃になれば恋だってした。お相手は源頼家である。
「姫さまは格別なお方。貴き方と結ばれる御運をお持ちじゃ」
 幼い日、奇妙な巫女(みこ)にそう予言されたように、いつしか二人は恋に落ちる。
 弟たちの手引きで夕刻、こっそり館を抜け出し、頼家と会うシーンがある。若者らしい熱情と、ちょっとした恋の駆け引き。思い合う気持ちを不器用に隠し、しかし隠しきれずにお互いを見つめ、手を取り合う。いやもう読んでいるだけで照れくさいが、寄り添いながら星の瞬く不思議な井戸を覗(のぞ)き込む姿は、二人を待ち受ける辛(つら)い未来を思うと、切ない美しさばかりが胸に残る場面だ。実際、初恋を成就させた彼女は、頼家の子を産み、妻となり、そして妻となることでまた一つ悲劇に向かって大きく歯車が動くのである。
 もし彼女が現代に生きていたら、と考えるのは意味のないことだろう。溢(あふ)れる才気や恵まれた出自、人を愛する心と優しさを兼ね備えた女性が、幼い日のごっこ遊びで太刀(たち)を振るったように、現代社会で人生を切り拓(ひら)く姿を思い描くのは容易だ。たとえ成功せずとも、それは幸福なことに違いない。だが、だからといって鎌倉の世に生きた若狭局の人生に憐(あわ)れみを覚えることは少し違う。
 印象的なのは、彼女の心の自由さだ。自分の力ではどうにもできない限られた世界に生きながら、何者にも屈せず、一途(いちず)に人を愛し、我が子を慈しみ、最後は我が身の行く末を自ら決めた。
 彼女が幸せだったかどうかはわからない。しかし、幸福や不幸は他人が決めることでももちろんない。悲劇の大波に呑み込まれそうになりながらも、彼女は頼家との逢瀬(おうせ)の思い出と、我が子だけは誰にも踏みにじらせずにその胸に抱き続けた。
 私たちにできることは、その儚くも力強い人生を尊び、敬意を払うことだけである。

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評者:青木千恵(書評家)

『言の葉は、残りて』

佐藤雫著

源実朝の生涯と恋をあざやかに描いた歴史恋愛小説
著者の鮮烈なデビュー作
 偉大な「鎌倉殿」だった父、頼朝(よりとも)を亡くし、兄である二代将軍頼家(よりいえ)の失脚後、実朝(さねとも)はわずか十一歳で武家の棟梁(とうりょう)となった。鎌倉三代将軍、源(みなもとの)実朝の生涯と、都から迎えた公家出身の御台所(みだいどころ)、信子(のぶこ)との恋を描いた、歴史恋愛小説である。
 物語は、千幡(せんまん)の幼名で呼ばれていた頃の実朝が、御所の庭を一人で歩くプロローグ的場面から始まる。(きらきら光る、玻璃(はり)の玉みたいだ……)と朝露に目をとめる実朝は、幼い頃から繊細で優しい心の持ち主だった。将軍として〈強く逞(たくま)しく武芸に優れた男子にならねばならぬ〉と望まれながら、線が細く、緊張を感じ取ると「きぃん」と心に音が鳴ってすくんでしまう。源氏の正統である父頼朝、地方武士の娘である母政子(まさこ)の間に生まれた実朝には、源氏と北条氏の血が流れていた。源氏と北条(ほうじょう)の結びつきは平氏を滅ぼす一大勢力をなしたが、頼朝の急死後はそれが新たな政争の火種となる。政子、義時(よしとき)、阿波局(あわのつぼね)ら北条の弟姉妹は、父時政(ときまさ)を排斥し、旧来の御家人を潰しながら北条家の力を強めていく。信子と共に都から鎌倉に来た水瀬(みなせ)は、東国への不安な道中を支えてくれた武家の好青年、畠山重保(はたけやましげやす)の死に衝撃を受ける。そんな水瀬に、義時の長男、泰時(やすとき)はこう言うのだ。「鎌倉(ここ)は、そういうところだ」
 初めこそ頼りなかった実朝は、父頼朝の面影を追うようにして成長し、父が得意としていたと信子から聞いた和歌に親しむ。気が強く、えらの張った北条の顔立ちをしていた兄頼家よりもむしろ、頼朝に似ていたのは実朝の方だった。畠山重忠(しげただ)の乱で母政子に勲功の差配を仕切られた実朝は、それから十年近くのち、北条氏に対する「謀反」が起きた時には、叔父の義時に詰め寄るほどになる。〈あの、穏やかな実朝がここまでの殺気を出せるとは、やはり源氏の血を引く者だけはあるな〉と義時に思わせる。だが東国を根城にしてきた地方武士にとり、もともと守るべきは各々の所領と「家」であり、頼朝以外の「鎌倉殿」は畏敬の対象ではなかった。〈甥の成長への喜びよりも、自立に対する危機感の方が義時の心を占めている〉という思惑が渦巻くなかで、物語は、実朝の成長を追い、源氏と北条の相克をリアルに描き出す。孤独な頼朝に寄り添ったのは、公家出身の妻、信子だった。
〈公家の自分は、この武家の地でいったいどのように生きればいいのだろう……〉。政略結婚だったが、信子は実朝に惹(ひ)かれ、鎌倉の海の匂いに包まれて仲睦(なかむつ)まじく暮らす。本書は、二人を軸に、水瀬、重保、泰時、和田朝盛(わだとももり)ら、若者たちが織りなす青春群像劇でもある。〈頼朝が描いた将軍が治める世はどのようなものだったのか〉。独り、将軍としての生き方を模索する実朝は、〈言の葉で治める世。式目で秩序を保ち、言葉で思いを伝え評し合う〉未来へと歩もうとする。
『金槐和歌集(きんかいわかしゅう)』を遺(のこ)した実朝の「言の葉(言葉)」に着目した本書は、朝露、海、雀(すずめ)、梅、秋、風といった風趣のディテールが全編にちりばめられている点も読みどころだ。ふと交わした言葉やディテールが、物語の後になって意味をなす。和歌の上の句と下の句のように連動する、小説上の掛かり方がおもしろい。たとえば、都から来た少女の信子を海に連れだした少年実朝は、「海は、美しいけれど、果てがないから、あんまり見つめすぎると怖くなる」と言う。「海の向こうには何があるのですか」と信子が応じる。(その二つのあおが交わる先は、どんな光景なのだろう……)と、実朝は思う。出会ったばかりの二人の会話は、問いを受けるようにして物語の後半につながっていく。そんな掛かり方をするディテールがいくつもある。問いかけに対する答えは何か。はっきりと言いきらずに紡がれて、読者の鑑賞にゆだねられる。
(ああ、私は生きて、私はあなた様のお側近くに仕え、あなた様のつくる言の葉で治める世を見たかった……!)
 実朝が非業の死を遂げて源氏の正統が絶えるとはわかっているけれど。実朝がもし死ななかったら……。本書を読んで、読者は少なからずそう思うのではないだろうか。源実朝の生涯と、公家の姫・信子の恋をあざやかに描き上げた本書は、二〇一九年度の第三十二回小説すばる新人賞受賞作。著者の鮮烈なデビュー作である。

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