(書評)・《クジラは歌をうたう》 阿野 冠


 持地佑季子もちじゆきこさんが紡いだ【クジラは歌をうたう】には、青春小説のすべてが詰まっている。郷愁と悔恨。愛と死。そしてストーリーの縦軸をしっかりと支えているのは、哀傷に満ちた惜春の情。お手軽なテレビゲームとちがい、本物の初恋はリセットできない。だから、ずっと忘れられないんだよね。
 主人公の名が『拓海たくみ』なのも好ましい。都会暮らしの彼は結婚式を間近にひかえ、軽いマリッジブルーに染まっている。別離した初恋の女性から、思いがけずメッセージが届いたからだ。
 十二年ぶりに更新された彼女のブログには、たった一行君は今、何を見て、何を思っていますか?≠ニ記されている。
 惑乱する拓海。同時に読み手のぼくも心が乱れ、作中にひきずりこまれた。なぜなら彼女(睦月むつき)は、すでに十七歳の時に亡くなっているのだ。
 提示された一行に導かれ、ページをめくらずにはいられない。それは単なる謎解きというより、消えゆく青春への回帰だろうか。
 彼女との出逢いは沖縄の浜辺。借景の自然道には真紅のブーゲンビリアが咲き乱れている。青い海とのコントラストがあざやかだ。女性脚本家ならではの映像美が、小説の行間から鮮烈に浮かび上がってくる。
 実生活においても、付き合った女性との記憶は日々薄れていく。けれども、想いを打ち明けられなかった相手のことは忘れがたい。
 男ってみんな恋愛には臆病だ。そんな心情を、作者の持地佑季子さんはやさしくすくいとってくれている。本編に登場する男女はみんなき人で、他者への思いやりがある。少年時に実母を亡くした拓海。損な役まわりの継母までが清雅に描かれている。
 「世間はそんなに甘くない」と、したり顔で言う大人もいるだろうが、過剰な甘さこそ青春小説の王道だとぼくは思う。
 慕情にかられ、ひさしぶりに沖縄へ帰郷した拓海は思春期の思い出をたどる。当然、亡き人とめぐり逢うことはできない。だが、まるで昨日のことのように、在りし日の彼女の所作や言葉がよみがえってくる。
 浜辺で逢った数日後、拓海の通う高校に転校生があらわれる。浜辺で見たあの美少女だ。名は睦月。ざわつく男子学生たち。南国ではめったに見かけない白い肌と華奢きゃしゃな容姿。話す言葉も都会的で、校内を案内する拓海はまごつくばかりだ。
 このあたりの描写はリアルで、純な男子高校生のもどかしさがストレートに伝わってくる。とかく少年少女は無防備だ。一目で恋に落ちてしまう。でも、それを相手に伝えることはできない。
 初恋はけっして結ばれない。
 現に話の冒頭で睦月の死は確定している。すでに二人の恋の行方はわかっているのに、圧倒的な筆力に先導され、読み手のぼくは物語を追いながら高揚するばかりだ。
 いったい睦月のブログを更新したのはだれなのか。十二年前、葬儀にも参列できなかった拓海は、今でも彼女の死を受け入れられない。禁じ手なので、死者からのメッセージについてはこれ以上深くふれないでおこう。
 でも、ただ一つだけ言いそえておきたい。ヒロインの死に慟哭どうこくする若者。そんなありきたりな悲恋ではなく、スタイリッシュな幕切れはやたら心地好いってことを。
 そして切ないラストシーンは、再びファーストシーンへとつながり、けだるい夜の回転木馬のように恋物語は何度もループしていくのだ。
 君は今、何を見て、何を思っていますか?
 太字で示された簡潔な一行。それは、まぎれもなく多くの若い読者への、作者からの問いかけにちがいない。
 さて、二十五歳のぼくは何とこたえようか。

(了)


著者 阿野 冠

1993年東京生まれ。2016年、慶應義塾大学卒。2010年、小泉信三賞全国高校生小論文コンテストに応募し、「冷たく美しい紡錘形の書物」で次席入選。『花丸リンネの推理』でデビュー。