『父 Mon Père』辻仁成 パパと生きてきた。ここ、パリで──。フランスで子育て中の著者が紡ぐ、家族と愛を巡る運命の物語。『父 Mon Père』辻仁成 パパと生きてきた。ここ、パリで──。フランスで子育て中の著者が紡ぐ、家族と愛を巡る運命の物語。

パパと生きてきた。
ここ、パリで──。

フランスで子育て中の著者が紡ぐ、家族と愛を巡る運命の物語。

『父 Mon Père』

書名:父 Mon Père
著者名:辻仁成
2020年7月17日発売
定価:本体560円+税
カバーデザイン:田中久子
イラストレーション:寺田マユミ
ISBN:978-4-08-744134-5

フランスで子育て中の著者が紡ぐ、
父と子の物語。
パリで生まれ育った「ぼく」は、ママを事故で亡くして以来、この街でパパと二人きりで生きてきた。だが、七十歳を過ぎたパパに、健忘症の症状が出始める。彼が迷子になるたびに、仕事中であろうと、真夜中だろうと、街を駆けずり回ることに。一方で、結婚を迫ってくる恋人との関係にも頭を悩ませていた。実はぼくらの始まりには、両親の過去が深く関わっていて──。家族と愛を巡る運命の物語。

【著者】

辻仁成(つじ・ひとなり)

東京都生まれ。1989年『ピアニシモ』ですばる文学賞を受賞。以後、作家・詩人・ミュージシャン・映画監督と、幅広いジャンルで活躍。97年『海峡の光』で芥川賞、99年『白仏』のフランス語翻訳版「Le Bouddha blanc」で、フランスのフェミナ賞・外国小説賞を日本人として初めて受賞。現在は拠点をフランスに置き、創作活動に取り組んでいる。

辻仁成

文庫化によせて辻仁成

フランスで暮らしはじめてもうすぐ20年になる。息子は16歳になった。再来年、息子は大学生になる。こうやって数字を並べてみると、結構長くフランスとかかわってしまったことに気づく。この小説は息子の視点で描かれた変な父親の物語だけど、もし息子が作家になればどういう小説を書くのだろう、読んでみたいな、と思いながら書いた。そういう意味では私小説的な視点を持った作品に仕上がったかもしれない。この作品を書いた時、まだ息子は小学生だった。不思議な感慨がある。ぼくと息子の関係が、だんだんこの作品に似てきていて驚く。最近、息子にガールフレンドが出来たので、そのうち、この作品のように、結婚を口にする日が来る可能性もある。そういえば、「パパはフランス人になることが可能だよ」と言われたことがある。パパにそばにいてほしいのか、と訊いたら、まあ、そういうことだ、と言われ、何となくうれしかった。この子が10歳の時、父子旅がはじまった。最初の旅先は、ストラスブールであった。「ぼくは幸せな4人家族を作るんだ。パパも一緒に暮らしてよ」と息子が言った。その言葉に、二人で生きなければならなくなった状況を申し訳なく思った。そして、その時、この小説の最初の一行が生まれた。

書評

タカザワケンジ(ライター、書評家)

『父 Mon Père』が刊行されたのは、作者のシングルファーザーとしての日常が話題になって、しばらくたった頃だったと思う。

 私にもちょうど辻さんの息子と年齢が近い一人息子がいたので、辻流の父子関係がどのように描かれているのかと単行本を手に取ったことを覚えている。読んで意外だったのは、父と息子2人だけの生活を、実際よりも先の未来から書いたということだった。

 ジュール(充路)は30歳。10歳の時に母を交通事故で亡くし、大学に入るまでは父と暮らしていた。いまは語学学校で日本人を相手にフランス語を教えている。父のタイジ(泰治)は72歳。突発的に起こる一過性全健忘症を患っていて、時折、自分がどこにいるのかがわからなくなり、ジュールに電話をしてくる。そのたびにジュールは仕事やデートを放り出して父のもとに駆けつける。ジュールにとって父はパリにいる唯一の血縁であり、自分を育ててくれたかけがえのない存在なのだ。

 タイジは小説家だが作品はフランス語に訳されたことがない。最近は新刊も出ておらず、生計は主に書道家としての活動でまかなっているようだ。ジュールから見ると父の人生と経済活動は謎めいている。ジュールにはいつか父の小説をフランス語に訳したいという夢があり、また、自分でも小説を書いて編集者に見てもらっている。どちらも父には内緒である。2人の関係は良好だが、「何でも話し合える」のとは少し違う。これは、多くの父と子がそうであろう。言葉にして伝え合うことが照れくさい。目を合わせるのも恥ずかしいし、少しだが緊張もする。私がそうだ。

 2人の関係に変化を与えるのが、ジュールの恋人、リリーだ。2歳年下の彼女は国立自然史博物館でクマムシの「乾眠状態」の研究をしている。クマムシが活動を停止した状態のまま眠り続ける無代謝の休眠状態を研究しているのである。乾眠状態で死は凍り付き、とあるタイミングで解凍し復活する。まるで記憶のようだ。

 2人は結婚を意識しているが、大きな壁があった。ジュールの母は、リリーの父が運転するクルマに同乗し事故に遭って亡くなったのである。2人が出会ったのは、リリーが父の死の真相を知りたいとジュールを訪ねたからだった。しかし、もしもこのことを互いの親が知ったらどう思うだろう。リリーの母、勉江(ミェン・チャン)もまた、タイジと同様に再婚はせず、亡き夫の死に複雑な感情を抱いているようだ。

 単行本の刊行時から約3年ぶりに読んでまず思ったのは、物語としての面白さだ。最初に読んだ時には父と子というテーマに気を取られて意識しなかったが、ジュールとリリーの恋の行方、彼らの父母の死の真相、父が若い家政婦に怪我(けが)をさせられるというトラブルなど、物語を推進する力が強く働いている。そして、それらはすべて、家族という愛おしくも厄介で、思いがしばしばすれ違う、特別な人間関係と深く結びついている。

 ほかにも気づいたことがある。

 ジュールは母を失った喪失感について、少年時代の思い出とともに振り返っている。父を失ったリリーもそれと似た体験を経てきたのだろう。ゆえに2人は強い結びつきを持ったのかもしれない。しかし、再読して気づいたのは、父のタイジもまた、妻を失い、深く傷ついていたということだ。

 父子はともに心に空洞を抱えているが、その質は異なる。息子は父を慕い、ぬいぐるみを抱きしめることで空白を埋めようとした。一方、父は忘れることで空洞そのものを消し去ろうとした。

 リリーと、その母・勉江の間でもそれぞれの過去への向かい方が異なる。父の死の真相を知りたい娘と、タブーにしている母。2組の親子は家族の死をめぐり、すれ違っている。

 家族のあり方はそれぞれで、たった一つの正解があるわけではない。それだけに、家族の物語は多種多様であり、汲(く)み尽くせない。『父 Mon Père』の魅力は、一見、風変わりで特殊な父子関係に見えて、実はどこにでもいる家族と同じ心の動きがそこにあることを丹念に描いていることだ。

 子供の頃のジュールは父にこう言う。「パパがおじいちゃんになったら、ぼくらの家で一緒に暮らそうよ」。父はこう返す。「心配はするな。パパは少し離れた、たとえば隣町で、たぶん、一人暮らしをする」。

 このやりとりに近い内容を、辻はTwitterでつぶやいている。『父 Mon Père』に息子との実際のやりとりが影響していることは間違いない。しかし、小説になった時、このやりとりは別の意味を持ち始める。

 辻は、自身もまたかつて父の息子として生きていた時代を思い起こし、作中の息子に自分を重ねたのではないか。いま、父が生きていたなら、こう答えるのではないか、と。

 老いるほど人は自分が親に似てきたと感じるという。私自身もそう感じることがよくある。父は生まれた時から父だったのではなく、かつては父の子であり、長じて父になった。そして子供もいつかは父になるかもしれない。それは母と娘にもいえるに違いない。

 家族のかたちはさまざまだが、ある世代から、次の世代へと移り変わっていく時の流れは変えられない。その時、親は子供を見て、自分が子供だった頃を思い出す。別の視点で。

 親と子は合わせ鏡のように向かい合い、何重にもすれ違い、何重にも出会うものなのかもしれない。『父 Mon Père』が主題としている父と子の物語はあくまで主旋律であり、その底流には家族という面倒くさい、しかし愛おしい関係があることを描いた作品なのだと思い至った。

『父 Mon Père』

父 Mon Père 辻仁成
2020年7月17日発売定価:本体560円+税