虹の橋からきた犬 新堂冬樹

「大丈夫。目には見えなくなるけど、
これからもあなたのそばにいるから──」
孤独な男性と一途な犬の永遠の絆。感動長編!

「犬コロと仕事のどっちが大事なんだ?」ワンマン社長の南野は、愛犬が病気で定時に帰ろうとする部下に激怒する。だが、これを機に社員一同の不満が爆発し、逆に孤立することに。そんな中、ひょんなことからゴールデン・レトリバーの子犬を飼うことになった彼は、その子犬“パステル”の純粋さに触れることで変わり始め、彼らはソウルメイトになっていくが!? 孤独な男性と一途な犬の絆を描く長編。

『虹の橋からきた犬』

書名『虹の橋からきた犬』
著者名::新堂冬樹
2022年4月21日発売
定価:990円(税込)
ISBN:978-4-08-744379-0

内容紹介
あとがき

 本書『虹の橋からきた犬』は、著者である私が九年間犬生を共にした、盟友でありソウルメイトだったスコティッシュテリアのブレットとの思い出を基にした物語だ。
 本書のタイトルにもなっている「虹の橋」とは、作者不詳の散文詩で、亡くなったペットが愛情を受けた飼い主を待っている場所とされている。インターネットで探せば、日本語訳が出てくるので、ぜひ読んでいただきたい。
 本書の主人公のソウルメイトとして登場するゴールデンレトリーバーのパステルのモデルのブレットとは、彼が生きていた九年間、雨の日も、雪の日も、台風の日も、猛暑の日も、高熱を出した日も、怪我をした日も……朝と夕方のパトロールを欠かしたことがない。
 ここでいうパトロールとは散歩のことだ。
 ブレットと出会うまでの私は、日に煙草を二箱以上吸い、五十メートルの距離も車で移動し、暴飲暴食の不摂生な生活を送っていた。
 ブレットを新堂家に迎え入れてからの生活は一変した。
 朝と夕のパトロールを三キロずつこなし、ブレットの身体に悪いので煙草をやめ、糖質制限で体質改善を図った。それまでは年に一度は引いていた風邪も十年以上引かなくなり、一切の病気とは無縁の健康体を手に入れた。
 変わったのは肉体面だけではない。
 目的を果たすためなら、人の忠告も聞かずにブルドーザーのように障害物を薙ぎ倒して前進を続けていた私だが、ブレットから無償の愛を学んだ。人の話に耳を傾け、和を大切にすることを学んだ。
 ブレットはやんちゃで、頑固で、誇り高く、決して飼いやすい性格ではなかった。
 物は壊す、部屋は荒らす、気に入らないとうんちを撒き散らす……ブレットと暮らす日々は、私に忍耐、献身、思いやりを教えてくれた。
 病気知らずのブレットが八歳の年末に体調を崩し、動物病院で検査を受けた。
 年が明けて二月になり、獣医師に宣告された。
「ブレットちゃんは恐らく悪性リンパ腫が疑われます。体内は腫瘍だらけで、ステージ4強に相当する末期の状態だと思われます。なにもしなければ、二週間から一ヵ月で命を落としても不思議ではありません」
 その瞬間、小説的な表現でたとえれば、「思考が止まり目の前が真っ暗になった」という状態になった。
 しかし私は、ブレットの前で哀しい素振りを見せなかった。
 犬は、飼い主の心情を敏感に察知する。私が嘆き哀しんでいれば、そのネガティヴな波動がブレットに伝わり病を悪化させると思ったのだ。
 逆に病を撃退できると強く信じていれば、思いが実現するという考えだった。
 だから私は、ブレットには常に明るく語りかけた。
「余命二週間なんて絶対に許さないぞ。最低でもあと五年は生きてもらうからな」
 私は事あるごとに、ブレットにそうハッパをかけていた。
 十代の頃から「マーフィーの法則」の『いいことを考えればいいことが起き、悪いことを考えれば悪いことが起きる』『天国も地獄もすべては己の心が創り出している』という信念で数々の夢を実現してきた私は、ブレットの不治の病も心の在り方で退治できると信じて疑わなかった。
「お気持ちはわかりますが、時間がないので治療方針を定める必要があります。積極的治療とQOLの維持のどちらを選びますか?」
 獣医師は私に、二者択一を迫った。
 積極的治療とは、ブレットの身体に負担をかけてでも抗癌剤投与を行い延命するのが目的であり、QOLの維持とは延命よりも生きている間は苦痛を少なくさせ、健康なときに近い生活を送らせる目的だ。
 当時のブレットが患っていた悪性リンパ腫には外科的手術も放射線治療も使えず、抗癌剤治療しか選択肢はなかった。
 抗癌剤は癌細胞を攻撃するだけでなく健康な細胞も攻撃するので、身体にかなりの負担がかかる。
 悪性リンパ腫は、不治の病なので完治はしない。
 完治ではなく、あくまでも寛解だ。
 CTスキャンで癌細胞が見えなくなっても、癌が永久に消滅したのではなく一時的に消えただけだ。なので、悪性リンパ腫は、寛解してもいつかは再発する。それは一週間後かもしれないし、一年後かもしれない。
 悪性リンパ腫が再発すれば、ほとんどは二年以内に命を失う。
 私は迷わず、積極的治療を選択した。
 先にも述べた通り、心で信じ続ければ不可能も可能にできると考えたからだ。
「つらい闘いになるかもしれません」
 獣医師の言葉通り、ブレットの症状はじょじょに悪化した。
 ブレットはまず食欲がなくなり、まったくご飯を食べなくなった。
 一週間近く水と点滴の生活が続き、このままでは死んでしまうので全身麻酔の手術をして、食道にチューブを装着することになった。
 衰弱しているブレットに全身麻酔をかけるのは心配だったが、無事に手術は成功した。
 それからブレットの、シリンジを使ってチューブから流動食を流し込む生活が始まった。
 免疫力が低下しているので、チューブを挿れる傷口から感染症にかからないように細心の注意を払った。
 流動食の生活になっても、口からご飯を食べるように様々な食材を用意した。
 牛肉、豚肉、鹿肉、鳥の胸肉、モモ肉、ササミ、サツマイモ、チーズ、ジャーキー、果物……朝と夜に、毎回、バイキング形式で十五種類前後のご飯を入れた紙皿を出した。
 三週間なにも食べず、用意したご飯は毎回ゴミ箱行きだった。一生、ブレットは流動食の生活になるかもしれないと覚悟した。体重もベストの九キロ台から七キロ台にまで落ち込んでいた。二キロの減少は、人間に換算すると二十キロの減少に値する。
 そんな中、ブレットの第一回目の抗癌剤の投与が行われた。
 家に帰って床にブレットを下ろした瞬間、奇跡が起こった。
 出しっ放しにしていた朝ご飯の紙皿の中に入っていたササミ巻きガムを、ブレットが猛烈な勢いで食べ始めた。
 私は我が目を疑った。
 夢にまで見た、ブレットが口からご飯を食べる瞬間に狂喜乱舞した。大袈裟ではなく、それまでの人生で五本指に入るほどの嬉しい出来事だった。
 獣医師は、一回目の抗癌剤投与で半分近くの腫瘍が消えたことがブレットの食欲が戻った理由だと言った。
 それからのブレットは旺盛な食欲で、流動食は必要なくなりチューブを外すことができた。
 体重も九キロ台に戻った。
 ブレットは薬剤が効く体質らしく、抗癌剤投与を重ねるたびにどんどん腫瘍が消えた。
 三回目が終わった頃には八割近くの腫瘍が消え、恐れていた副作用もなかった。
 余命宣告の期限を過ぎた三ヵ月が経った頃のブレットの元気な姿と体重増に、普通ならありえません、こんな子は初めてです、と獣医師も驚きを隠さなかった。
 この調子なら、完全寛解も夢じゃない。
 ブレットは不治の病を克服できる!
 私の中の希望は確信に変わりつつあった。
 だが、抗癌剤投与が四回目を過ぎた頃からブレットに副作用の症状が出始めた。大量に被毛が抜けて地肌が透けて見え、ふたたび食欲がなくなり、下痢や嘔吐を繰り返した。
 目ヤニで毎朝眼が塞がり、鼻水と咳が出るようになった。
 そんなブレットには、不可解な行動があった。
 当時の私はベッドに寝ずに、書斎で過ごしていたブレットのそばでソファに寝ていた。
 夜中に気配を感じ眼を開けると、暗闇の中でお座りしたブレットがソファで寝ている私の顔を覗き込んでいる、ということが頻繁にあった。
 私が起き上がると、決まってブレットは入れ替わるように寝た。
 ずっと不思議に思っていたが、ブレットが肉体を脱ぎ捨てた後に、とある霊視の先生に言われた言葉がいまでも忘れられない。
 ここからは少しスピリチュアルな話になるので、興味のない方は読み飛ばしてほしい。
『ブレットちゃんは、新堂さんの寝顔をいつも見てましたよね』
 唐突に霊視の先生が言った。
 因みにこのことはSNSの記事にも書いたことがないので、誰も知るはずがなかった。
『どうしてわかったんですか?』
『ブレットちゃんは、新堂さんが自分より先に死んでしまわないかが心配でそうしているのです。人間から愛情を受けた動物は古くなった肉体を脱いだら、飼い主が死んだときに迷わずに天界に行けるように元気な頃の姿で待っているんですよ』
『どこで待っているんですか?』
『天界に続く橋の前で、先に逝った仲間たちと遊びながら飼い主さんを待っているんです。だから、新堂さんが会いたいと思えば一瞬で会いにきてくれるんです』
『私と一緒に、ブレットがいるんですか?』
『新堂さんが肉体を脱ぐまではずっと待っているので、会いたいと願えばいつでも』

 本書の主人公の南野は、利益優先の制作会社の社長……社員のペットの具合が悪くても早退することを許さないような非情な男だった。
 会社を軌道に乗せ利益を生み出すことこそが、家族や社員を守る最善の方法と信じて疑わなかった。
 そんな南野に、妻も社員も背を向けた。
 幼馴染みでともに会社を立ち上げた親友の藤城は唯一手を差し伸べてくれたが、南野は彼が社員を扇動して自分を追い出そうとしていると疑い潰しにかかった。
 ある日、南野はひょんなことから隣家の老人が飼っていたゴールデンレトリーバーの子犬、パステルを預かることになった。
 隣家の老人が検査入院することになり、半日だけということで渋々と引き受けたのだ。
 老人は体調が急変して亡くなってしまい、南野は途方に暮れた。
 その頃会社でクーデターを起こされ(と思い込んでいた)、南野は社長の座を追われそうになっており子犬を飼う余裕などなかった。
 南野は厄介な子犬を追い払おうと躍起になった。
 だが、対照的にパステルは南野に懐き離れようとしなかった。
 南野にとってパステルは邪魔な存在でしかなく、里親を募り引き渡した。
 せいせいしたはずの南野の中に、喪失感が広がった。
 そんなとき、パステルが里親の車から飛び下り南野のもとに戻ろうとした事件が起きて……。

 妻に出て行かれ会社を追い出され、四面楚歌になった南野を唯一信じて愛情を注ぎ続けるパステル。
 南野の頑なに閉ざした氷の心を、パステルの無償の愛が次第に溶かしていった。
 しかし、そのときパステルの身体は病魔に蝕まれていた。

 冒頭に触れたように『虹の橋からきた犬』は、ブレットが私に注いでくれた無償の愛が起こした数々の奇跡を基にした物語だ。
 作家生活二十四年、百作近い著書を生み出してきた私が完成した原稿を読み返して初めて涙した。

 本書は、私からブレットに贈るラブレターである。

 二〇二二年二月

新堂冬樹