読売ジャイアンツの新監督、高橋由伸との出会いは、僕がいま小説家をしている大きな理由の一つだ。 もう二十五年も前になる。春、当時神奈川県にある桐蔭学園中学の二年生に上がろうとしていた僕は、その日を心待ちにしていた。ずっとウワサに聞いていた「天才・高橋」がいよいよ高校に入学してくるという。 隣り合わせにあった高校のグラウンドのフェンスにしがみつき、僕は野口という同じ中学野球部の友人と二人で練習が始まるのを待った。 本音を言えば「どんなもんだ?」という思いが強かった。これまでも散々名ばかりの「怪物」を見てきたし、こちらも物心ついた頃から野球を始め、小学校時代はそれなりの結果を残し、中学としてはめずらしい推薦を得て入学した身だ。鼻っ柱は強かった。 当時の桐蔭は黄金期とも呼べる時期で、三年生にはのちに西武に進む高木大成が、二年生にはヤクルトで活躍した副島孔太らがいた。 でも、彼らはたしかにすごい選手ではあったけれど、あえて不遜なことを記させてもらえば、自分がそこに至れないとは思わなかった。もちろん当時は雲泥の実力差があったが、いつか自分も高校の野球部に進み、同じような練習を積めば、近づけるというイメージを持つことができたのだ。はじめて目にした高橋由伸のバッティングは、そんな僕の淡い期待を粉々に打ち砕くものだった。 かつて聞いたことのない打球音に、大きく、美しいフォロースルー、一向に空から落ちてこないボールに、一年生とは思えない飛距離、その弾道……。野口はその容姿を捉えて「カッコいい人だね」と言っていた。 僕はそこまで目がいかなかった。ただ、圧倒的な才能の差に打ちひしがれ、当然プロに進むものと思っていた自分の将来からすっぽりと野球が抜け落ちていくのを自覚した。ああ、こういう人がプロに行くんだ……。呆然とそう思った。 もう野球を辞めたいとさえ思ったが、周囲の説得もあり、二年後に僕も中学から一人だけ高校の硬式野球部に進んだ。 三月に入寮し、三年生が引退していく七月までの四ヶ月間。先輩・高橋由伸と過ごした期間はわずかしかなかったが、僕にとって思い出はかけがえのないものばかりだ。きっとファンの思う通り、優しい人だったと思う。 そしてこれはファンの想像とは違うかもしれないけれど、決して練習好きな先輩ではなかった。もっと言えば、野球が好きなようにも見えなかった。少なくとも僕の目にはそう映ったし、そのことがまた選手としての僕を絶望させた。 そう、あれはハッキリと絶望だったし、挫折だった。 何をしたって敵わない。のちの人生で山のように出会っていく、その最初の一人が、きっと高橋由伸という人だった。