よみもの・連載

水晶庭園の少年たち

第一話 瑪瑙(めのう)の喪失〈後〉

蒼月海里Kairi Aotsuki

「樹?」
 学の呼び声に、ハッとした。気付いた時には、彼は僕の目の前で手を振っていた。
「無理すんなよ。家で寝てろって」
 学は、僕の肩を掴んで回れ右をさせる。最早、家に戻るという選択肢しかくれなかった。
「早く元気になれよ。みんな、待ってるからな」
「うん、ありがとう……」
 耳打ちされた言葉が、とてもあたたかい。だけど、それが心苦しい。
 学の厚意を胸に抱きながら、僕はプリントを携えつつその場を後にする。
 玄関から家に入る時、ふと、犬小屋が目に入った。
 誰もいない、廃墟のような犬小屋は、無言でこちらに何かを訴えかけてくるかのようだった。
「メノウのこと、いつまでも引きずっていられない……。みんなに心配をかけちゃう……。だから、忘れないと……」
 犬小屋から目をそらし、玄関の扉を乱暴に開ける。
 頭の隅で、メノウが寂しそうな顔をしてこちらを見ていたような気がしたが、頭を振って必死に掻き消したのであった。

 その日の夜、僕は不思議な夢を見た。
 僕は、水晶の森にいた。枝葉を伸ばす木々のように、僕よりも背の高い水晶の尖塔が、周囲にずらりと立ち並んでいる。天を覆うのは夜空だったが、僅かな月明かりを浴びて、水晶達はキラキラと輝いていた。
 水晶の輝きのお陰で、辺りは朝のように明るかった。地面も全て水晶に覆い尽くされていて、僕は水晶の先端が突き刺さらない場所を探して歩くのに必死だった。
「綺麗……」
 水晶はどれも透き通っていて、向こう側が見えるくらいだ。と思えば、光の加減で僕の姿を乱反射し、幾つもの虚像を浮かび上がらせていた。
 そばにある水晶にそっと触れると、ひんやりとした感触が返って来る。
 ああ、これは太古に存在した氷の化石なのだ。直感的に、そう思ってしまった。水晶の正体は酸化したケイ素だと、雫から教えて貰っていたのに。
 僕は、水晶を一つ一つ眺めながら、先へと進んでいく。進行方向は僅かに明るく、そして、何かに呼ばれているようだった。
 水晶の中には、よく見ると、閉じ込められているものがあった。
 褪せた緑色のそれは、草だろうか。ススキのようなものも入っている。よく見ればそれも、鈍く光を反射させていて、氷と一緒に化石になった植物のように見えた。
 ぞっと背筋が寒くなる。
 水晶の森は美しく、静謐で、何もかもが停止していた。
 息が詰まるほどの秩序の中で、混沌と蠢(うごめ)くものはただ一人、僕だけだった。
 耳を澄ませても、何の音もしない。僕が歩けば、僕の頼りない足音だけが響く。

プロフィール

蒼月海里(あおつき・かいり) 1983年宮城県生まれ。日本大学理工学部卒業。
2014年、文庫書き下ろしの『幽落町おばけ駄菓子屋』でデビュー。同シリーズのほか「華舞鬼町おばけ写真館」「幻想古書店で珈琲を」シリーズなどを次々と刊行。他の著書に『水上博物館アケローンの夜』など。

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