よみもの・連載

水晶庭園の少年たち

第九話 仮晶の夢〈後〉

蒼月海里Kairi Aotsuki

「雫、こんなところにいたんだね」
 目の前には、雫が立っていた。安堵に顔を綻ばせ、差し出された手をそっと握った。
「おいで」と雫は僕を引き寄せる。闇の中で一瞬だけ、浮遊感に包まれた。
「わわっ」
「座って」
 雫がそう言うと、足の裏に確かな感触を覚える。だけど、それは土蔵の床と明らかに異なっていた。
 闇は晴れ、周囲の景色が明らかになる。
「ここは……」
 僕は、大きな貝の上に立っていた。
 僕達がいるのは、波が静かに打ち寄せる海岸だった。空は昼と夜が混じった曖昧な紫色で、大きな月がぽっかりと浮かんでいる。
 そして、辺りは静寂に満ちていた。動くものは、僕達と波しかなかった。
「ゆっくりと話せる場所が、欲しかったから」
 雫は貝の上に腰かける。表面がつるつるしていて滑りそうだったけれど、僕もまた、雫に倣(なら)った。
 滑り台ほどの大きさの巨大な貝は、白い巻貝だった。僕が迎えたものとは違い、トゲトゲはない。手のひらでなぞると、滑らかな感触がした。
「瑪瑙化……しているのかな」
「そうだね。これはビカリヤという巻貝さ。岐阜県の月吉(つきよし)という場所で採れるんだ。貝の内側に鉱物の成分が沈着し、その後、炭酸カルシウムで出来た殻が溶け去ったものなんだよ」
 瑪瑙や玉髄化した巻貝を、月のお下がりと呼んでいる人もいるらしい。確かに、硬く冷ややかな雰囲気は、月とよく似ていた。
「貝は溶けてしまっても、形は残る……」
「そうさ。元の物の形だけ残して別の鉱物に置換されてしまったものを、仮晶とも呼ぶんだ」
 蘊蓄(うんちく)を述べた雫は、遠くを見つめる。
「だけど、こうして出来た瑪瑙もまた、いずれは別のものになってしまうのだろうけど」
「永遠はない……」
「そうだね。僕も、樹も」
「雫も、寂しいの?」
 僕が尋ねると、雫はしばしの間、沈黙していた。
 波が打ち寄せる音が、僕達の間に響き渡る。他には、何も聞こえない。

プロフィール

蒼月海里(あおつき・かいり) 1983年宮城県生まれ。日本大学理工学部卒業。
2014年、文庫書き下ろしの『幽落町おばけ駄菓子屋』でデビュー。同シリーズのほか「華舞鬼町おばけ写真館」「幻想古書店で珈琲を」シリーズなどを次々と刊行。他の著書に『水上博物館アケローンの夜』など。

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