よみもの・連載

困った死体は瞑らない

第一話 豆腐の死角

浅暮三文Mitsufumi Asagure

   *

「つまり森田さんは夜明け近くに豆腐を買いにここにきた。そこで死んでいる前田五郎さんを発見したんですね」
「ああ、四時ぐらいだったかな。予約したタクシーだから運転手が証言してくれるわい」
 大黒と数之は工房にあったパイプ椅子に座って森田と対していた。アメリはすでに遺体とともに解剖に向かっている。
「四時とは随分と早い買い物ですね」
「ここの豆腐はそりゃ、うまい。みんなこぞって買いにくる。昼には売り切れちまうほどだ。なんでも水が違うそうだよ。多摩霊水とか呼んでたな。特に朝一番の出来たては最高なんだ。だから急がんと一番ものを喰いっぱぐれるんだよ」
「それで?」
「前田の五郎ちゃんとはすっかり馴染みになっちゃってな。開店は六時なんだが、わしがくるときには裏口を開けといてくれるんだ。それで中に入ると死んでた」
 森田の言葉は淡々としている。なにかあるたびに森田は死体と出くわすのだ。街角で手袋を拾ったようなものらしく驚きはない様子だ。
「ご覧の通り、入り口のドアも窓も閉まってるが、爺さんがいうように裏口が開いてた。ピッキングの形跡はないが簡単なシリンダー錠だ。ちょっと経験がある奴なら朝飯前だろう。忍び込もうと思えば豆腐でもできるぜ」
 数之の言葉に森田がパイプ椅子から腰を上げると尋ねた。
「それじゃ、いいかい? せっかく買いにきたんだ。ご馳走にあずかるとするよ」
「駄目だ。ここにある物はすべて物証だ。現場保存のために豆腐を喰うのは厳禁だ」
「おあずけってえのかい? 目の前に出来たてがあるってのにさ」
 森田は持っていた手提げから小さな醤油瓶と鰹節(かつおぶし)のパックを取り出して示した。
「事件解決のために協力しろよ。無事にホシをお縄にできたら豆腐でも脳みそでも喰わせてやる」
 大黒は森田に尋ねた。
「検死では死亡推定時刻が午前二時から三時前後です。森田さんがきたとき、まだ誰かいませんでしたか。なにか変わったことに気が付きませんでしたか」
「特になかったね。わしが一番乗りでまだ客はいなかったな。物音も、争う気配にも気付かなかった。ここは五郎ちゃんが一人でやってるんだよ。自分の目の届く範囲でしか仕事はやらねえ、豆腐造りはその都度が勝負なんだって頑固さでさ。血筋なんだねえ。その血筋のせいかもしれんなあ」
 森田はちらりとドアの上の額縁に視線をやった。
「聞きたいのですが、我々は死亡したのが前田五郎さんだと事前に報告を受けていました。ところがきてみると加藤静男さんです。だな?」
 大黒は言葉を切って、かたわらに立つ所轄を見やった。
「はい。遺体が前田五郎さんなのは戸籍を確認して報告した通りです。機動捜査隊の大河原さんに説明しておけといわれたんですが、死亡した前田さんは、ここではずっと加藤静男さんで通していたようです。近辺の住民はみんな未(いま)だに加藤と思ってます」

プロフィール

浅暮三文(あさぐれ・みつふみ) 1959年兵庫県生まれ。関西大学卒業後、コピーライターを経て、98年『ダブ(エ)ストン街道』で第8回メフィスト賞を受賞しデビュー。2003年『石の中の蜘蛛』で第56回日本推理作家協会賞長編部門を受賞。著書に『ラストホープ』『実験小説 ぬ』『10センチの空』『セブン opus2 古い街のひそかな死』『私立警官・音場良 ロック、そして銃弾』『誘拐犯はカラスが知っている 天才動物行動学者 白井旗男』ほか。

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