よみもの・連載

困った死体は瞑らない

第一話 豆腐の死角(第三回)

浅暮三文Mitsufumi Asagure

 黄色い一声があったと思うと甲高い音とともに木刀が粉を噴き、まっぷたつに折れ飛んだ。衝撃に所轄はもんどりうっている。アメリが静かに告げた。
「お見事。手ぬぐい割りの秘儀、しかと拝見しました」
 アメリの声にシスターかおるは微笑(ほほえ)む。
「いえいえ、わたくしなんてまだまだでございます。開祖である武田惣角(たけだそうかく)先生ならもっと技の切れが凄(すご)かったでしょうね」
「どう、大黒? 軟らかい手ぬぐいでも場合によっては、こんな荒技が可能なの。かつてわたしが稽古に通っていたとき、見せてもらったのを思い出したの」
 どうやらアメリはシスターとキックボクシングを通じた知り合いらしい。
「つまりピエール丘(おか)はこの手の達人だというのか」
 アメリはうなずいた。板の間にもんどりうった所轄は木刀を握っていた両手が痺(しび)れているらしく、まだうめきながら床で腕をさすっている。
「さっさと立ちなさいよ。どんな実験か説明すると気構えるから黙ってたけど、警官なら武道の心得があるでしょうに。それとも痛いのを続けて欲しいの?」
 アメリの言葉を聞きながらシスターかおるが説明した。
「わたくしたちの流派には日頃持ち歩くような日用品を武器にする技がございます。昔は手ぬぐいに下駄(げた)。現代の女性ならハンドバッグですね。丸めた新聞紙も使えるんですよ」
 続く説明によると、ここは武田惣角を開祖とする流派から枝分かれした合気柔術の道場だという。修道女だけでなく、近隣の女性に向けた健康維持と護身術の教室も開いているのだそうだ。
 武田惣角とは伝説の武道家で百五十センチほどの小兵(こひょう)ながら素手で刃物を使う五人のちんぴらを投げ飛ばし、地面に叩き付け、人間を線香のようになぎ倒すなど朝飯前だったという。
「惣角先生は濡れ手ぬぐいで瓦二十枚を割り、人骨を折り、頰の肉を削ぐほどの腕前だったそうです」
「シスターさんよ、その手ぬぐいを改めさせてもらっていいか」
 一戦を見ていた数之(かずゆき)が手ぬぐいを受け取って子細に調べ始めた。
「確かに普通の手ぬぐいだ。濡れているだけで、他に種も仕掛けもない。じゃ、こいつではどうか。それがアメリの考えだったんだな」
 数之は携えていたクーラーボックスを開いた。中には現場にあった豆腐が数丁、水に沈んでいる。物証ながらアメリの強い指示で持参した物だった。
「お豆腐でございますか」
 クーラーボックスの中をのぞいたシスターかおるが眉を曇らせた。
「残念でございます」
「シスターさん、それは豆腐じゃ無理だって意味かい? それともあんたには無理だって意味かい?」
「あらゆる所持品を武器に利用するのがわたくしどもの流派の極意のひとつです」
「シスター、表現がおかしいぞ。極意ならひとつじゃないのか」
「ですが、豆腐は日頃、持ち歩きません。ですから我が流派では武器にする修練を積んでこなかったのです」
「すると今の技でも豆腐を凶器にすることは無理なんですね」
 大黒の確認にシスターかおるはうなずいた。

プロフィール

浅暮三文(あさぐれ・みつふみ) 1959年兵庫県生まれ。関西大学卒業後、コピーライターを経て、98年『ダブ(エ)ストン街道』で第8回メフィスト賞を受賞しデビュー。2003年『石の中の蜘蛛』で第56回日本推理作家協会賞長編部門を受賞。著書に『ラストホープ』『実験小説 ぬ』『10センチの空』『セブン opus2 古い街のひそかな死』『私立警官・音場良 ロック、そして銃弾』『誘拐犯はカラスが知っている 天才動物行動学者 白井旗男』ほか。

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