よみもの・連載

困った死体は瞑らない

第一話 豆腐の死角(第三回)

浅暮三文Mitsufumi Asagure

「ただし、相当な達人。例えば他流派や国外の人、ずっと先達にあたるどなたかなら可能かもしれませんが」
「心当たりはありますか」
「わたくしにはありません。でも同門の大先輩ならご存知かも。午前中に連絡があったので、そろそろお見えになるはずですが」
 シスターかおるが告げたとき、玄関の引き戸が音を立てた。同時に唄が聞こえた。
「♪吹けば飛ぶような将棋の駒に」
「あ、その声は森田(もりた)」
「脳漿(のうしょう)だってんだろうが」
「そうだよ、お二人さん。森田だよ」
 入ってきたのは確かに森田だった。両手一杯に紙袋を携え、たっぷり膨らんだリュックを背負っている。かなりの荷物を横に置くと一同を見回しながらゆっくりと板の間にあぐらをかいた。
「さてと。なにかいいたそうだね?」
「森田の爺(じい)さん、あんた、こちらのシスターの大先輩なのか」
「ああ、そうだよ。なにかおかしいかい」
「ええと、まあいいや。詳しく聞くと話が長くなるだろうし。それより爺さん、あんたこいつで濡れ手ぬぐいみたいに相手の頭を叩き割ることができるか」
 数之がクーラーボックスの中を指し示した。
「豆腐か。てことは、もしかして五郎ちゃんの件でここにきたのかい。だがね、そいつは無理じゃ。豆腐はどう試しても人を傷つける道具にはならん。今まで多くの武道家がチャレンジして敗れ去った。豆腐は諍(いさか)いとはどこまでも無縁なんじゃ。いってみりゃ、世界一強い柔らかさ、闘争を超越した平和主義者、それが豆腐だ。まさに柔よく剛を制すだな」
「もしかして豆腐工房の書は森田が書いたの?」
「あれはガンジーのだよ。豆腐と平和への献辞だ。わしが大師匠から譲り受けたのをプレゼントした」
「森田さん、あなたが駄目でも似たような武道の達人ならどうですか? そんな相手を森田さんはしりませんか。たとえばこの人物ですが」
 大黒は携えていたピエール丘の顔写真を手渡した。直近のものが必要なため、数之が隣室から取り調べを撮影してあった。一瞥(いちべつ)すると森田が首を傾げた。
「うううむ。東宝の青春映画じゃあないしのぉ。はてさて、なんだろうかな。なにかもやもやするんじゃが」
「爺さん、心当たりがあるのか? こいつなら豆腐で相手をノックアウトできるのか」
「いや、こんな武道家は見たことがないわい。いずれにせよ、どんな達人でも豆腐を武器にすることは無理じゃ。第一、武道をたしなむ者と無抵抗主義者は食い物を粗末にせんわい」
「なんだよ。となると奴は本当に胸にSのマークを付けてたってえのか」
 当てが外れて数之が毒づいた。

プロフィール

浅暮三文(あさぐれ・みつふみ) 1959年兵庫県生まれ。関西大学卒業後、コピーライターを経て、98年『ダブ(エ)ストン街道』で第8回メフィスト賞を受賞しデビュー。2003年『石の中の蜘蛛』で第56回日本推理作家協会賞長編部門を受賞。著書に『ラストホープ』『実験小説 ぬ』『10センチの空』『セブン opus2 古い街のひそかな死』『私立警官・音場良 ロック、そして銃弾』『誘拐犯はカラスが知っている 天才動物行動学者 白井旗男』ほか。

Back number