よみもの・連載

困った死体は瞑らない

第二話 世界一重たい茹で卵

浅暮三文Mitsufumi Asagure

 厄介だ。だが警視庁は犯罪者と刑事には冷酷だ。公務員である大黒にとって変死体は穴が開いたままの公道と同じで、対処しなければ出世に響く。
「体がすっかり炭化したわけじゃないから内臓は茹(ゆ)だったままのはずよ。後で解剖して確かめるけど死因は火傷による機能障害ね。そんなわけで世界一重たい茹で卵がプールで自分を自分で調理したってことらしいわ。数之(かずゆき)が喜ぶのも当然よ」
 背後でぺたぺたと足音がした。視線を後ろにやるとオットセイが歩み寄ってきていた。馬に加えて二匹目の動物の登場だ。全身が真っ黒で水中眼鏡にアクアラングを背負っている。
「へへへ。とうとうバチカンに電話する日がきたな。正真正銘の奇蹟(きせき)との遭遇だ」
 数之は満面に笑みを浮かべて大黒とアメリに目を据えた。
「いいか、ちょっと講義してやろう。今回のような人体発火現象は十七世紀以来、結構、記録されているんだ。過去に二百例もある。最新の報告は二〇一〇年のアイルランドでだ。無人ロケットが小惑星から土を持って帰る時代だぜ。だのに聖書のヨブ記が神罰としている謎がまだ解けない」
「愉快っていいたいのね」
 アメリが受けた。
「アイルランドの一件ではクリスマスの少し前、西部の街で早朝に火災報知器が近所に鳴り響いた。それですぐさま消防が急行。だが隊員が踏み込んだ建物内は、居間で横たわっていた黒焦げの遺体以外には燃えた形跡がまるでなかった。現場検証でも火元は見当たらない。事件を担当したベテラン検視官は徹底的な調査をして死因を人体自然発火だと断定した」
「明らかに人体以外に火の気がないわけね。チビフグがオカルト現象を信じたいのは分かるけど、科学的な裏付けもできるんじゃない? 人体が黒焦げになるのは例えばフリースを着てたらよくあるわよ。起毛は空気を多く含むから表面がフラッシュして爆発的に炎上するのよ」
「クリスマス前のアイルランドだぞ。フリース程度で寒さがしのげるか? まあ、その事件は置くとして、そこのプールサイドに出来上がってるのはなにも着ていないはずだ。プールの中だったからな」
「そうよ。ジェームズ・ボンド以外は誰も服を着て泳がないわ。染みになるから。ただこの人、水泳パンツは穿(は)いてたみたい。股間に焦げた繊維が張り付いてる」
「へへ、男ってことか。自主的な行為なら、かなりのマゾだったんだな」
「この死体はとっても皮下脂肪が厚いわ。フリースが原因じゃなきゃ、人体ロウソク化現象と関係してるかもしれない。皮膚が裂けて脂肪が露出すると、溶け出して燃料として供給されて自分が燃えちゃう。一定の条件下なら人体がロウソクと同じになっちゃうのよね」
「だがな、フリースでもロウソク化でも、そもそも最初の火種が必要だろうが。だけど今回は水中だ。マッチも擦れない状況のはずだ。なにがこいつに着火したっていうんだ」
「そうね、恋の炎かしら」

プロフィール

浅暮三文(あさぐれ・みつふみ) 1959年兵庫県生まれ。関西大学卒業後、コピーライターを経て、98年『ダブ(エ)ストン街道』で第8回メフィスト賞を受賞しデビュー。2003年『石の中の蜘蛛』で第56回日本推理作家協会賞長編部門を受賞。著書に『ラストホープ』『実験小説 ぬ』『10センチの空』『セブン opus2 古い街のひそかな死』『私立警官・音場良 ロック、そして銃弾』『誘拐犯はカラスが知っている 天才動物行動学者 白井旗男』ほか。

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