よみもの・連載

困った死体は瞑らない

第二話 世界一重たい茹で卵

浅暮三文Mitsufumi Asagure

「そんなものはなかったよ。暑いのはお日様だけじゃ。とにかく日高山関がプールに飛び込んだんで、やっぱり暑いんだなとわしは思った。馬を見ていた子供たちもそう思ったはずだ。そしたら水の中でピカッと光がきらめいてな。それで日高山関が沈んだ。と思うとその光がぱぱぱと激しく輝いたんじゃ。ぶくぶく泡は出るわ、日高山関は光に包まれて見えないわ。なんだか手品でも見てるみたいなことになってな。なにが起こったのか、誰もぽかんとするばかりだわい。だがあんまり続くもんだから、こりゃ変だと騒ぎになったときに、ぽっかり真っ黒焦げの大きな塊が浮かんできた。はっけよいの恰好(かっこう)でだ。こりゃ、死んだなとわしはぴんときた。なにしろ死体と出会うことに関しちゃ、玄人だ。お母さんたちに子供らを連れ帰るように指示して、後は与太郎や従業員とあんたらの到着を待つことにしたんじゃよ」
 熟練変死体ハンターといえる森田も今回の事件は驚きだったのだろう。一段落するまで森田の説明は長かった。しかし事件の概略はつかめた。問題は核心部分だった。
 話では火の気はなく、プールに飛び込むまではぴんぴんしていた様子から、どう考えても自然死ではない。人体が自然に発火するのかどうかは大黒の理解を超えているが、目撃証言からすると現時点では事故死が濃厚に思える。ただ事故死なら数之の説明にあったとおり、水中で火種が必要になる。というより、そもそも水中で発火するのだろうか。
「つまり、本当に火の気はなにもなかったんですね。関取が飛び込む前にパンツが燃えてたりしてなかったですね」
「ああ、なんにもなかった。チョンマゲからも煙ひとつ出てなかったわい。わしはこう見えても近所の消防団の古株じゃ。焦げ臭いものは不渡り手形も見逃さん」
 謎は脳内でブラックホールと化した。論理を呑み込み、出口はない。衆人環視の状態での死亡。事故か、自殺か、他殺か。そのいずれにせよ、なぜプールで焼死したのか。なぜ突然、飛び込んだのか。
 しかもほぼ全裸で、燃える物は皆無。どうなれば水中で焼死するのか。もしかすると本当にオカルト現象なのか。馬は関係しているのか。付け足せば死体はなぜ臭いのか。
 森田の証言は大黒の論理的な推理を阻む壁となっていた。万里の長城ほどの障壁だ。数之が主張するオカルト現象の方がまだすっきりする。仕事を楽に終えるために超能力が関係していると立証できれば――。大黒の脳裏に黒い誘惑がちらちらし始めた。
「残念じゃな。日高山は五月場所と七月場所で通算二十三勝してるんじゃ。九月の場所で十勝すれば三十三勝。大関昇進が目の前なのに。いずれは横綱になって、ハヤテ号にも大きな庭を買ってやれたじゃろう。プールとはいえ、浮かばれんのう」
 ざぶりと水を割る音がするとプールサイドにオットセイが這(は)い上がってきた。付けていた水中眼鏡をむしり取ると足下に投げ捨てる。
「ちくしょう。バチカンに電話する機会がきたと思ったが、大外れだぜ」
 大黒はオカルト現象を期待しかけていたが、数之は唇を嚙(か)むと息を吐いた。かけようと思った言葉を呑み込んで大黒は待った。数之は勢い込んで水中に入ったときとはうって変わってロンサムな風に吹かれている。

プロフィール

浅暮三文(あさぐれ・みつふみ) 1959年兵庫県生まれ。関西大学卒業後、コピーライターを経て、98年『ダブ(エ)ストン街道』で第8回メフィスト賞を受賞しデビュー。2003年『石の中の蜘蛛』で第56回日本推理作家協会賞長編部門を受賞。著書に『ラストホープ』『実験小説 ぬ』『10センチの空』『セブン opus2 古い街のひそかな死』『私立警官・音場良 ロック、そして銃弾』『誘拐犯はカラスが知っている 天才動物行動学者 白井旗男』ほか。

Back number