よみもの・連載

困った死体は瞑らない

第二話 世界一重たい茹で卵(第二回)

浅暮三文Mitsufumi Asagure

「あんた、ハヤテ号に嫌われたな」
 馬の手綱を引きながら田舎道で森田(もりた)が告げた。大黒(だいこく)はシャツをめくり、濡(ぬ)らしたハンカチで二の腕を冷やしている。腕に大きな歯形があり、血が滲(にじ)んでいた。森田と並んで歩くアメリが振り返って笑った。
「大黒は馬から見たら悪人顔なのね。わたしには可愛らしく尻尾を振ってたわよ」
 あいつは牡だな。だから小さなビキニが好きなんだ。あるいはアメリの意見のように事件に関係していると疑ったのを見透かされたのか。いずれにせよ、車にすればよかった。大黒は痛みに後悔した。
 日高山(ひだかやま)関の家に案内すると告げた森田の言葉に、大黒はプールまでの道筋や近隣を調べるため、徒歩で移動することにした。どこかに金属加工工場や塗装現場があるかもしれないからだ。
 というのも出かける前に数之(かずゆき)からテルミット反応について聞き出した。意気消沈してざっくりとした説明だったが酸化した金属が還元する化学反応だという。ハヤテ号は聞きながら鼻を鳴らしていた。それみろといいたかったらしい。
 テルミット反応とは高校の化学の実験の定番なのだとか。酸化鉄(例えば砂鉄)とアルミニウム粉を燃焼させると砂鉄が純粋な鉄に戻る。その際、激しい光を発し、水の中でも火が燃えるのでティーンエイジャーの生徒たちに大人気なのも分かる。
 この反応は古くから溶接に利用され、鉄道の路線修理や第二次大戦中は焼夷弾(しょういだん)にも使われた。燃焼は激しく、酸化鉄とアルミニウムの場合は三千度までの高温に達する。量によっては骨まで燃えつきさせるほどらしい。
 ただ着火させる必要があり、高校ではリボン状のマグネシウム片を使う。いわば花火の導火線部分だ。今回の場合はそれが携帯電話だった。
「大黒、携帯電話の中のリチウムイオン電池はケース内が正極と負極の成分に仕切られているんだ。このケースがなにかのはずみで壊れると化学反応が起こり、発熱発火に至る」
 数之の説明で大黒はときおり見聞する報道を思い出した。バッグに入れていた携帯が燃えたという事件だ。
 厄介なことにリチウムイオン電池もアルミニウム粉末も、水をかけると化学反応が起こって水素が発生してさらに燃える。森田が見たぶくぶく湧いた泡や手品のような光はすべて関連する金属の反応だったのだ。
 日高山関はハヤテ号がプールに蹴落とした携帯電話を捜していた。その際に誤って踏んだため、体重で簡単に電池が壊れた。しかも森田の携帯は防水だ。水浸しになる前に発火を起こし、携帯が火種となって関取の全身に付着していたアルミニウム粉と酸化鉄が還元反応を起こしたわけだ。
 その結果、日高山関は自分自身で真っ黒焦げになり、プールの底にはテルミット反応で純粋な鉄とニッケルコバルト合金が残った。オカルトどころか、極めて科学的な現象だったのだ。つまり日高山関はアルミニウム粉と酸化鉄を全身に浴びていたことになる。
「あんたのこと、見てるわよ」
 アメリの言葉の通り、手綱を引かれながらハヤテ号はじっと大黒を見つめている。
「なにもかもお見通しだぞっていってるみたい」
 馬の視線に大黒の脳裏には口に出せない自身の過去がいくつも湧いていた。子供の頃のイタズラも。

プロフィール

浅暮三文(あさぐれ・みつふみ) 1959年兵庫県生まれ。関西大学卒業後、コピーライターを経て、98年『ダブ(エ)ストン街道』で第8回メフィスト賞を受賞しデビュー。2003年『石の中の蜘蛛』で第56回日本推理作家協会賞長編部門を受賞。著書に『ラストホープ』『実験小説 ぬ』『10センチの空』『セブン opus2 古い街のひそかな死』『私立警官・音場良 ロック、そして銃弾』『誘拐犯はカラスが知っている 天才動物行動学者 白井旗男』ほか。

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