よみもの・連載

困った死体は瞑らない

第二話 世界一重たい茹で卵(第二回)

浅暮三文Mitsufumi Asagure

 この馬は本当になにかをしっているのか。だが幼少期から馬が身近だったり、なにかを見られていた憶(おぼ)えはない。するとこの馬はフロイトかユングの生まれ変わりか。
 大黒は改めて数之の説明の続きを反芻(はんすう)した。数之によるとアルミニウムは金属加工でよく使われる。塗装工事では酸化鉄粉が混じった通称「べんがら」という、防錆(ぼうせい)用材に使う。これは陶磁器の釉薬(ゆうやく)や顔料、磁気ディスクやビデオテープにも使われているという。どこかで日高山関がそれらの金属を体に付着させた場所があるはずなのだ。徒歩にしたのはその必要性からだった。
「手洗いにいっていいかのう」
 出発前に更衣室で着替えているアメリを待っていると、ハヤテ号の手綱を持っていた森田がいいだした。女の着替えは戦闘装備だ。どのくらい時間がかかるか、男なら子供の頃からうんざりさせられている。仕方なく、森田の言葉に大黒が手綱を受け取った途端、ハヤテ号が首を振った。そして大きく口を開けた。
 かぷり。はっきりと音がした。ハンカチを当てている大黒の腕が腫れ上がっているのは、そんな顛末(てんまつ)からなのだ。
 なにが気にくわなかったのかは分からない。一口嚙(か)んで後はしらんぷりだ。だが反撃するわけにもいかなかった。相手は馬だ。この上、蹴られでもしたら大怪我を負うことになる。
「痛いだけよ。血が滲んだ程度だし、ハヤテも加減してくれたんじゃない? ちゃんと消毒してあげたから変な病気にはならないわ。歯形はしばらく残るでしょうけど」
 アメリの言葉に数之がかすかに笑った。馬に嚙まれたのは癪(しゃく)だが、しょぼくれていた数之が少しは仕事を続ける気になったのは確かだ。馬に感謝するつもりはないが。
「奇蹟(きせき)を証明して見せろよ」
 大黒は最後尾にのらのらとついてきている数之に声をやった。
「これから調べる関取の家にまるで金属粉がないとする。そしてその後の捜査の先にもだ。するとお前がいうオカルト現象って線も浮上するんじゃないか。俺は信じないが、無神論者の俺に天罰を下してみたらどうだ。そのためにも、しっかり鑑識作業をしろよ」
「ああ、そうかい。おっしゃる通りさ。世の中には科学で説明できない出来事が実在する。科学を商売にしている俺はそれを肌でしってる。バチカンとは今日限りってわけじゃないさ。お前らに目に物見せてやる。ゼウス様の雷をびかびかと落っことしてやる」
 数之は空元気を鼓舞するように大黒の言葉に毒づいた。ギリシャ神の信者とはしらなかったが、負けん気が出てきた様子だ。
 実際、ここまでの道すがら、目をやってもどこにも工場や塗装現場はなかった。何度か訪れている森田の地所よりも田舎じみた風景が広がっているだけだ。
 家屋も数えるほどで、ほとんどが農園や雑木林。科学ともゼウス神とも、かなりの距離がある。金属粉を浴びるには条件が悪いのは確かだ。
「ここじゃよ」
 先頭をいっていた森田とアメリが歩みを止めた。ハヤテ号が大きく口を開けてこちらを見つめている。笑っているのだろうか。それともまた嚙みたいのか。

プロフィール

浅暮三文(あさぐれ・みつふみ) 1959年兵庫県生まれ。関西大学卒業後、コピーライターを経て、98年『ダブ(エ)ストン街道』で第8回メフィスト賞を受賞しデビュー。2003年『石の中の蜘蛛』で第56回日本推理作家協会賞長編部門を受賞。著書に『ラストホープ』『実験小説 ぬ』『10センチの空』『セブン opus2 古い街のひそかな死』『私立警官・音場良 ロック、そして銃弾』『誘拐犯はカラスが知っている 天才動物行動学者 白井旗男』ほか。

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