よみもの・連載

困った死体は瞑らない

第二話 世界一重たい茹で卵(第三回)

浅暮三文Mitsufumi Asagure

「今日の午後、関取は馬をプールに連れてきてました。そこで事件があったんです」
「くうう、ハヤテ号でごんすか。可愛がってた馬だ。確かに今日はトレーニングさせられると喜んでおった」
 頰を伝う涙をぬぐうと親方は決然とした面持ちになった。覚悟ができたらしい。一息吐(つ)くと口調が平常に戻った。
「あいつはちょっと変わった奴だったんです。生まれ育った場所が場所だけに、生来の自然児とでもいうのか、なにごとにも頓着しない性格で」
 確かに自然児といえるだろう。なにしろ郊外とはいえ、東京で馬と生活しようというのだから。しかしあの巨体が馬に乗っている姿は野生の王国さながらだろう。遠目なら牛が馬に乗っているかに見えたはずだ。
「ですが、その分、愛嬌(あいきょう)があって人気もひとしおでした。とんとん拍子に出世して関取になったんですが、外出が自由になると、ときどき休みにどこかへ姿を消すんですよ」
「とんとん拍子ね。ワルツでもツービートでもないんだ」
 アメリが茶々を入れるが親方は日高山の死を受け入れられたようだ。沈んだ声で思い出話のように語り始める。
「すると家を建てるまではここで生活していたんですね」
「ええ、力士の世界はとても厳しいんです。勝手な振る舞いは厳禁です。ですが男であることには変わりない。それでわしはこっちの方だなと思ってたんです」
 丸子親方が小指を立てた。所轄の報告では日高山は二十八歳。独身だけに色恋沙汰があっても不思議でない年齢だ。
「大黒、聞いた? わしだって。相撲取りは本当にわしっていうんだ。人称代名詞だけど、ほとんど固有名詞だよね。一人称の名人ジェーン・オースティンもびっくりだわ」
「親方、気にせずに続けてください」
 アメリの揶揄が理解できていなかったのか、親方は小さくうなずいた。
「力士は報道関係にいつもマークされてましてね。中にはスキャンダルを鵜(う)の目鷹(たか)の目で狙ってるのもいます。変な噂(うわさ)を立てられちゃ人気に傷が付くので、できるだけ慎重に行動するように釘を刺していたんですが、まさか馬を可愛がってたとは、わしも最近まで知りませんでした」
「すると引っ越しするまでハヤテ号のことは、なにも漏らしていなかったのですか」
「ええ、日高山が引っ越したのは先月。どうしても一人暮らしがしたいといいまして。十両になると部屋から出て生活してもいいのが習わしです。日高山は昨年、関脇になったので家を建てるのは構わない。金にもきちんとしていて新居の分も用意できていた。それに相撲には馬鹿が付くほど真面目(まじめ)です。だから引っ越してからも一時間ほどかけて車でここに通ってました。付き人には運転させずに。まあ、かなり遠いですから、付き人も大変ですしね」
「理由は馬だったんですね」
「なんでもっと近くに引っ越さないのかと思ってましたが、馬とはね。自然児そのものです」
 親方は木訥(ぼくとつ)な口調で話し、溜息を吐くと尋ね返してきた。

プロフィール

浅暮三文(あさぐれ・みつふみ) 1959年兵庫県生まれ。関西大学卒業後、コピーライターを経て、98年『ダブ(エ)ストン街道』で第8回メフィスト賞を受賞しデビュー。2003年『石の中の蜘蛛』で第56回日本推理作家協会賞長編部門を受賞。著書に『ラストホープ』『実験小説 ぬ』『10センチの空』『セブン opus2 古い街のひそかな死』『私立警官・音場良 ロック、そして銃弾』『誘拐犯はカラスが知っている 天才動物行動学者 白井旗男』ほか。

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