よみもの・連載

困った死体は瞑らない

第二話 世界一重たい茹で卵(第三回)

浅暮三文Mitsufumi Asagure

「ということはかなり臭うんじゃないですか」
「ええ、離れていてもかなりの悪臭です。一人暮らしを了承したのは、ある意味、周りのことを考えてでもあったんです。あいつは愛嬌も性格もいいが、風呂嫌いが玉に瑕(きず)です。験を担いでいるとか言い訳してましたが、本当は子供みたいに風呂が嫌いなだけだったんです。クサヤ関取なんて他の部屋の人間から悪口を言われてましたよ。タニマチはそんなあいつをドロンコ関なんて呼んで喜ぶもんだから、本人も気にかけていなかった。まったくの自然児ですよね。部屋にきた頃は爪を切るのも面倒くさがり、床屋に行くのが嫌いで、チョンマゲで済むから力士になったなんていってました。くうう、今となっちゃ、あの臭いを二度と嗅げんと思うと断腸の思いでごわす」
 親方の語尾が再び涙じみてきた。どことなく西郷隆盛みたいだ。故人をしのんでいるのに悪いが、アメリがいっていた悪臭の原因が今の話で解明した。日高山の風呂嫌いは角界では有名だったようだ。大黒の頭にもやもやした思いが湧いた。
「大黒、ざっと調べたが、それらしいものはどこにもなかったぜ。キラキラもピカピカもゼロだ。残りはここだけ。もしかするとバチカンに電話できるかもしれないぞ」
 数之が稽古場に戻ってくると告げた。声がどことなく明るくなっている。大黒は脳裏のもやもやをはっきりさせるために、稽古場を見つめた。
「日高山関は稽古と食事をして帰ったんですね。部屋で立ち寄ったのはここと食事を摂った部屋だけですか」
「ええ、二階とここだけでごわす」
 大黒の視線の先、稽古場の中央に土俵が設けられている。なにかのまじないか、そこに御幣を飾った竹の棒が突き立てられていた。横手に力士が十人ほど手持ち無沙汰そうにたたずんでいる。
 警察に協力するように親方に言いつけられているのだろう。殊勝な素振りだが部屋の関取が死亡したというのに誰もが眠そうにあくびをかみ殺している。
「こらっ。しゃんとせんか」
「ごっつぁんです」
 親方の一喝が飛んだ。
「失礼しました。あいつらはちょっと前まで昼寝をしていたもので。力士は稽古とちゃんこ、それに眠ることが商売でして」
「健康的な一日ですね。日高山関もそうだったんですか」
「大抵、九時には夢の中でしょう。あいつは本当によく眠った。タニマチとの席でも船をこぐのはいつものことで」
 親方は鼻をすすった。場所が始まれば朝から相撲があり、取組は放送に合わせて六時には終わる。中継に合わせて日頃から一日のスケジュールは今聞いたようなのだろう。
「あの棒は?」
「ああ、あれはお清めです。幕下が稽古に使った土俵を掃除して突き固め、御幣を立てて清めの塩を撒(ま)きます。相撲は神事ですから」
「すると今日の土俵の表面はすでに掃除されているのですか」
「ええ、それがなにか?」
 大黒は答えずに数之とアメリを見た。脳裏のもやもやは、かなり克明になっていた。考えてみれば日高山もここにいる力士たちのように浴衣姿だったのだろう。
 つまりその下は回し一丁ということだ。金属粉を体に浴びても不思議ではない。だがそれが稽古中のことだとしても、すでに土俵はきれいにされている。

プロフィール

浅暮三文(あさぐれ・みつふみ) 1959年兵庫県生まれ。関西大学卒業後、コピーライターを経て、98年『ダブ(エ)ストン街道』で第8回メフィスト賞を受賞しデビュー。2003年『石の中の蜘蛛』で第56回日本推理作家協会賞長編部門を受賞。著書に『ラストホープ』『実験小説 ぬ』『10センチの空』『セブン opus2 古い街のひそかな死』『私立警官・音場良 ロック、そして銃弾』『誘拐犯はカラスが知っている 天才動物行動学者 白井旗男』ほか。

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