よみもの・連載

堂場瞬一×神田松鯉 作家デビュー20周年記念スペシャル対談
求道の途中で

 
構成/宮田文久 撮影/大槻志穂

堂場
面白い、小説の世界でいうところのナラティブですね。神田先生は古い速記本から連続物を起こして再構成されていったそうですが、心がけてこられたことはありますか。というのも僕の場合、現代を描くときは「そのときの時代の記録」というつもりで取り組むんです。二十年前、普通に小説に書いた「書き込んだポケットベル」は、今の若い読者が読んだら何のことかわからないかもしれない。でもそれはしょうがないし、それも引き受けての記録なんだ、と。
神田
古い連続物の場合、今聞いていただくネタにしなきゃいけないので、まず言葉を直します。文語体と口語体の違いというのはありますね。明治の速記本なんて「何とかでございまするによって」などと書いてあって、そんな言葉、もう使いませんから。内容も今の感覚からすると冗長です。ただ難しいのは、あまり現代的にしすぎると講談の品や格がなくなっちゃう。そこをどう扱うかですね。
堂場
そこはお客さんの反応を見て変えていくんでしょうか。
神田
はい。ただ、決してお客さんにへつらうのではないんです。自分が納得いくようにまずは直して、それをかけてみて、お客さんの反応を見る。同じネタでも、たとえば五年ぶりにかけてみると、自分の感覚もお客さんの反応も、まったく変わっているんです。
堂場
五年で変わりますか。
神田
ええ、三年でも変わっちゃうんです。台本はつくってあるのですが、二年、三年経って読みなおすと、ここはこうしなきゃ、と……だから台本は真っ黒になっています。
堂場
永遠に終わらないですね。一回覚えて、自分のなかに入れてしまったら完成、という話じゃない。
神田
完成じゃないんです。死ぬまで変わると思うんですよ、私。
堂場
これが生の芸≠フ怖さですよね。僕らは一度書いて世に出したら、基本的には書き直しということはない。このまま残っちゃいますから。
神田
先ほど触れた言葉というのもね、講談は基本的に文語体で成り立ってきた「読む芸」なんです。それが少しずつ口語体に変わりつつある。それは大事なんですが、一方でこのまま変革すると、やがてすべて口語体の講談になっちゃうかもしれない、と思わなくもない。ですから、ほかの部分は口語体でも、しっかりした部分は文語体で読む、というようには残したいですね。そこに芸人の個性が出るんだと思います。先生が、鳴沢に靴を磨かせるのと同じですよ(笑)。
堂場
それが生で披露され、聞かれることで、また変わっていくわけですよね。本の場合は逆に、封じ込めているというか、「化石をつくっていく」感覚があります。しかも本は、講談を聞くようにみんなで読む、その場で一気に共有するというようなことは、ほとんどない。手応えも、生の芸に比べればわかりにくいところがある。それが怖くて、次々に書いていくのかもしれません(笑)。新刊の『幻の旗の下に』も、新たな挑戦だったんです。一九四〇(昭和十五)年、返上された東京五輪のかわりに実際に開催された東亜競技大会、特にそのなかでの野球を題材に、戦前のハワイを舞台のひとつとして描きました。読者が馴染みのうすい世界を描くというときに、講談から学べることも多いように思います。
プロフィール

堂場瞬一(どうば・しゅんいち) 1963年、茨城県出身。青山学院大学国際政治経済学部卒。2000年、第13回小説すばる新人賞を受賞し、2001年1月、デビュー作『8年』を刊行。2013年、読売新聞社を退社し、作家専業に。2020年までの出版点数は152冊。
最新刊は10月26日刊行予定の『幻の旗の下に』。

神田松鯉(かんだ・しょうり) 1942年、群馬県前橋市出身。 講談師・人間国宝。日本講談協会、落語芸術協会所属。日本講談協会では名誉会長を、落語芸術協会では参与を務める。1970年、二代目神田山陽に入門。1992年に 三代目 神田松鯉を襲名。1988年、文化庁芸術祭賞を受賞。長年の講談界全体への功績が認められ、2019年、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。