よみもの・連載

大人の旅の物語

1 男二人は聖地を目指す

遠藤彩見Saemi Endo

 名古屋発の特急しなのはもう到着しただろうか。梨本正直(なしもとまさなお)がスマートフォンから顔を上げると、松本駅の改札越しに乗客が押し寄せてくるのが見えた。
 土曜日の午前十時過ぎ、しかも梅雨で皆傘を手にしているから余計混み合っているのだろう。梨本が人波を避けて改札の端に寄り、向こう側を見渡しても、出てくるはずの相手は人垣で見えない。きっとあいつは人がいいから道を譲って譲って後ろになっているのだ。
 夫婦、若いカップル、女性の二人連れ、グループ。改札を抜けていく乗客は様々だが、男の二人連れは見当たらない。やはり男二人旅はいまだに珍しいのかと眺めていると、「ナシ」と呼びかける声が聞こえた。
 有沢成生(ありさわなるお)が改札を抜けながら、梨本に手を上げたところだ。
 ぽっちゃりした体型をカバーするオーバーサイズのTシャツとデニムパンツ。その上にコットンシャツを羽織っている。服装だけでなく、三カ月違いで四十歳を迎えて腹回りが豊かになる一方なところも梨本と同じだ。違うのは有沢がメガネを掛けていることくらいか。
 駅の外に向かいながら、ほぼ二年ぶりの再会を喜ぶより先に有沢が問いかける。
「何で今回は車なの?」
「言っただろ、小回り利くからだって。東京から四時起きで来ちゃったよ」
「四時起き!?」
「おう。美ヶ原(うつくしがはら)高原だっけ? あの辺りを走ったら気持ちよさそうだしさ」
「でもさ、いつもみたいに昼酒飲めないじゃん」
「アリは飲んでいいよ。俺は夜がっつり飲めればいいから。あれ」
 駅前ロータリーの中央にあるパーキングに止めた車を示すと、有沢が目を丸くする。
 半年前に買った赤い愛車は自慢の左ハンドルだ。オープンにもできる。
「中古だけどさ。この型、気に入っちゃってさ。雨降ってなかったらオープンにしたかったな」
「ずいぶん派手だね……」
 有沢が車の周りを一周する。
「タッくんもミクちゃんもまだ小学生だよね? 収まり悪くない?」
「子どもたちの塾の送り迎えとかは、ユリが前から乗ってる軽でしてるから」
「奥さんと一台ずつ持ってるんだ?」
「うん。こっちの車の方が、子どもたちにウケがいいけど」
「うちなんて子どもがいないのにファミリーカーだよ。ツーシーターの恰好(かっこう)いいのにしたいけど、嫁ブロックを突破できない」
「二台目は?」
「え?」
「二台目買っちゃうってのはどう?」
 梨本は誘惑するように、ドアロックを解除してみせた。
 意味が分からなかったのか、真顔を梨本に向けた有沢がやがて苦笑した。
「そんな贅沢(ぜいたく)できないって。お邪魔しまーす」
 助手席に乗り込む有沢に続いて梨本も運転席に乗り込んだ。
 横幅のある男二人で車が急に狭くなった気がする。買い換えたばかりのスマホを出し、旅の幹事を務める有沢に示した。
「今日の中信州、どんな感じで回るの?」
「──」
「おーい、まさかノープラン?」
 有沢はデイパックを膝に口ごもったままだ。
 忙しくて考える暇がなかったのかもしれない。スマホのメッセージで日程のすり合わせをしているときに松本で合流しようと言われてから、一応チェックした観光情報を頭の中に広げる。

プロフィール

遠藤彩見(えんどう・さえみ) 東京都生まれ。1996年、脚本家デビュー。テレビドラマ「入道雲は白 夏の空は青」で第16回ATP賞ドラマ部門最優秀賞を受賞。2013年、初めての小説『給食のおにいさん』を発表。著書に、シリーズ化された同作のほか、『キッチン・ブルー』『イメコン』『バー極楽』『千のグラスを満たすには』などがある。

Back number