よみもの・連載

大人の旅の物語

1 男二人は聖地を目指す

遠藤彩見Saemi Endo

 旅はプロレスのリングのようなものだ。
 ともに旅する者だけの世界が出来上がる。二人旅ともなれば、相手と正面からがっぷり取り組まなければならない。
 貝と同じように適温で温めれば有沢も口を開けるだろう。どんな身が出てこようと、おいしい酒を垂らして二人で食べてしまえばいい。
 戸隠に地酒はあるのだろうか、とスマホをポケットから出したとき、足元の石につまずいた。
 土の上に見え隠れしていた石がやがて規則的に横並びになる。坂道の傾斜が少しずつきつくなり、段の高さが増す。木々と茂み、苔(こけ)むした石の間を上っていく険しい階段へと変わっていく。
 息が切れて足を止めた。何気なく振り返った梨本の足がすくんだ。急な斜面は足でも滑らそうものならどこまでも転げ落ちてしまう。踊り場まで上がって一休みしていると、呼吸が静まるにつれて下から激しい呼吸音が聞こえてきた。
 数メートル下で、有沢が必死に階段を上ってくる。少し休んで体を引き上げ、また休んでまた引き上げる。
 やっとのことで梨本に追いついた有沢が足を止め、激しく息をつく。
「ナシ、すごいじゃん……体力……」
「飲む?」
 梨本は背負ったデイパックから二本ペットボトルを出し、未開封の方を有沢に渡した。有沢がボトルを見る。
「……エネルギードリンク?」
「そう、体に蓄えた糖分や脂肪分を効果的に燃焼させる効果と、体の酸化を防ぐ効果があるんだ。オーガニック百パーセント。レモン味ですっきりするよ」
「へえ……」
 いただきます、と受け取った有沢が、開いた梨本のデイパックを覗(のぞ)き込む。ペットボトルの他に、愛飲のサプリや非常食用のエネルギーバーを入れてある。
「いろいろ入ってるね。重くない?」
「四十路だし、気をつけてないと。年齢は階段と同じで上がれば上がるほど落ちたときがキツいぞ」
 梨本は先に立って再び階段を上がり始めた。
 階段のてっぺんにまた鳥居があった。ついに目指す奥社にたどりついたのだ。
 砂利の間に延びる短い参道の先で、石垣に囲まれた社が二人を迎える。社を抱くように緑が生い茂り、ぴしりと澄んだ空間に霧が漂っている
 奥社に背を向けると天界と呼びたくなる景色が待っていた。延々と階段を上がってきただけあって、霧雨の向こうに濡れて輝く緑の木々と山々の頂が見渡せる。
 ぱらぱらと参拝客がいるが、やはり静かだ。「ご挨拶」と有沢に促され、注連縄の下をくぐって社に入り、柵の前に並んで立った。
「名前と誕生日と住所、あと無事に来られたことへのお礼を言うんだよ」
 有沢の教えを受け、梨本は奥に祀(まつ)られたご祭神に向かって手を合わせた。まずは家族の息災を頼み、ついで仕事がうまくいくように頼む。
 もっと多くの顧客を得て成績を上げたい。もっと多くの人の喜ぶ顔が見たい。収入ももっともっと欲しい。頭角を現し、仕事仲間に尊敬され、一パーセントと言われる上位クラスの人間になれるように、どうか助けてほしい。妻や子どもたち、親族や友だちからも──。
「ナシ」
 有沢に小声で呼びかけられて梨本は我に返った。
 あわてて退くと、いつのまにか梨本の後ろにずらりと行列ができていた。
「仕事のことを頼んでたらつい。やりたいことが多くてさ。ま、神様は聞くのが仕事じゃん?」
 照れ隠しに笑いながら、梨本はスマホを出した。

プロフィール

遠藤彩見(えんどう・さえみ) 東京都生まれ。1996年、脚本家デビュー。テレビドラマ「入道雲は白 夏の空は青」で第16回ATP賞ドラマ部門最優秀賞を受賞。2013年、初めての小説『給食のおにいさん』を発表。著書に、シリーズ化された同作のほか、『キッチン・ブルー』『イメコン』『バー極楽』『千のグラスを満たすには』などがある。

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