よみもの・連載

大人の旅の物語

1 男二人は聖地を目指す

遠藤彩見Saemi Endo

 ──ナシは今、幸せ?
 向かいで天ざるのそばをすすっている有沢を見て、梨本は奥社で言われたことを思い出した。
 奥社をあとにし、随神門、大鳥居を抜けてそば屋に入ったところだ。
 もともと男二人だからぺらぺら喋(しゃべ)り続けることもないが、互いに黙ってそばを口に運んでいると、無言で責められているような気がしてくる。どう切り出そうかと迷っていたら、せっかくぱりっと揚がったアシタバの天ぷらを箸で挟み損ね、天かすを辺りに散らかしてしまった。
 反射的に視線を上げた有沢の表情はやはり暗い。神崎に相当なことを吹き込まれているのに違いない。
 その顔がようやくほころんだのは、デザートに頼んだそばのソフトクリームが運ばれてきたときだった。
「うわ、このアイス、本当にそばだ。色もだし、ほら、黒い粒々が。あー、味も、香りもそば」
「神崎から聞いた?」
 梨本は努めて軽い口調で切り出し、スプーンでソフトクリームを口に運んだ。
 有沢が梨本を見ている。続きを待っているのだ。
「実はさ、言ってなかったけど俺、新しい仕事を始めたんだ。会社は兄貴に任せて、今はそれ一本」
「そうなんだ」
「知ってた?」
「神崎から聞いた」
「いい会社と縁があってさ、健康食品やドリンク、ビタミン剤、スキンケア用品から料理関連まで幅広く扱ってるんだけど、すごくいい商品ばっかり出してるんだ。それを、世の中に広めて、たくさんの人に健康で幸せな生活を送ってほしくて。志を同じくした人たちと販売してるんだ。お客さんとコミュニケーションを取って、信頼して買ってもらうために、人脈を通じて販売していくスタイルで」
「ネットワークビジネス」
「そう。ネズミ講とかマルチとか嫌な言い方されたりするし、そういう会社も実際あるけど、うちは違うから。もう、本当にいい商品ばっかりなんだよ」
 先入観を持たれたくない。誤解を解きたい。心配させたくない。
 妻はどれだけ説明しても、まるで聞いてくれなかった。梨本が親戚や近所、仕事仲間や友だちに商品を勧めるたびに怒った。梨本のビジネスを軽蔑したように「おシゴト」と呼び、梨本の父や兄に訴えてビジネスを止めさせようともした。
 ネットワーク仲間で言うところの嫁ブロックだ。
 ビジネスを止めさせようとする妻と諍(いさか)いが続いた。妻は仕事仲間にまで夫に近づくなと電話したり、カタログやサンプルなど大切なビジネスツールを捨てたりし、あげくの果てにスマホを壊されそうになって、とうとう梨本は家を出た。

プロフィール

遠藤彩見(えんどう・さえみ) 東京都生まれ。1996年、脚本家デビュー。テレビドラマ「入道雲は白 夏の空は青」で第16回ATP賞ドラマ部門最優秀賞を受賞。2013年、初めての小説『給食のおにいさん』を発表。著書に、シリーズ化された同作のほか、『キッチン・ブルー』『イメコン』『バー極楽』『千のグラスを満たすには』などがある。

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