よみもの・連載

大人の旅の物語

1 男二人は聖地を目指す

遠藤彩見Saemi Endo

 戸隠神社の五つの社は神道(かんみち)と呼ばれるルートで結ばれている。そば屋を出た梨本と有沢は、奥社から中社(ちゅうしゃ)に向かう神道に入った。
 いつの間にか霧雨が上がり、森を成す木々の間から漏れた陽光がちらちらと道の上に揺れる。お守りなのか、鈴を身につけた参拝客と何組もすれ違う。有沢は愛想良くすれ違う参拝客と会釈を交わし、ときには言葉も交わしている。
「ナシ、こっち」
 呼ばれて視線を向けると、有沢が白く整備された道から、森の中に続く脇道に入った。
 自然にできたような階段を上がっていくと、一気に視界が開けた。向かいに山がそびえ、見上げるとさっき苦労して上がった奥社がある。
「ここは奥社遥拝(ようはい)。展望台っていうだけあってよく見えるね」
「ああ、すげえな」
「晴れてきたし」
「うん、いい感じ」
 口先だけで返事をしながら、ちらりと腕時計に視線を向けた。梨本だけに聞こえる秒針の音が、風の音をかき消す。
 ビジネスの締日が迫っている。
 歩きながら月初にリーダーに送信したセールスの計画表を頭の中に広げた。
 市販のものよりも値段が張るせいか、売上はなかなか上がらない。多少高くても良い商品なのだ、自信を持って勧められるのに。妻や兄、近隣の人々、学生時代からの友人たちも、みな断るか、サンプルを受け取るだけだ。
 有沢にももう購入を勧められそうにない。
 梨本の計画では、松本でのんびり一日過ごしてリラックスしたあと、宿でじっくり商品の説明をすることにしていた。そのために、車のトランクに男性用のシャンプー、トリートメント、育毛ローション、ボディソープ、化粧水、乳液、美容液やサンプル、カタログなどを詰め込んできたのだ。
 背負ったデイパックが重い。さっき有沢に見せたサプリやプロテインバーの下には、ペットボトルがまだ四本入っている。一度下ろそうとしたとき、頭にひらめいた。
 まだ希望はある。
 梨本は有沢にもらった「パワースポット旅」の資料をポケットから出した。
 あちこちのホームページから寄せ集めたような、戸隠神社五社の大まかな地図と案内が載っている。
 残り三カ所の社を回り、奥社の駐車場に止めた車に戻るまで、少なくとも三時間は歩くらしい。曲がりくねった森の中の道に加え、階段も多い。
 有沢が衰えた自分の体力を痛感したら、考えが変わる可能性だってある。確かに有沢の伯父はビジネスで失敗したかもしれない。しかし梨本は違う。それに二十五年来の親友だ。
 もしかしたら、今ごろ有沢はさらなるエネルギードリンクを所望しているかもしれない。
「アリ?」
 足を止めて振り返った梨本は目を見張った。
 有沢の姿が見当たらない。
 それどころか、どことも知れぬ森の中に迷い込んでいる。

プロフィール

遠藤彩見(えんどう・さえみ) 東京都生まれ。1996年、脚本家デビュー。テレビドラマ「入道雲は白 夏の空は青」で第16回ATP賞ドラマ部門最優秀賞を受賞。2013年、初めての小説『給食のおにいさん』を発表。著書に、シリーズ化された同作のほか、『キッチン・ブルー』『イメコン』『バー極楽』『千のグラスを満たすには』などがある。

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