よみもの・連載

大人の旅の物語

1 男二人は聖地を目指す

遠藤彩見Saemi Endo

 一応、人の足で踏み固められた道らしきものを辿(たど)ってはいるようだが、ぐるりと三百六十度を見回しても、目に入るのは木々と草だけだ。来た方向すら分からなくなった。
「アリ!」
 大声で呼びかけても返事がない。
 あわててまた資料を開き、地図に目を凝らした。しかし、自分がどこに立っているのかすら分からない。
 それならば、とスマホを出し、地図アプリを開いて現在地を表示した。
 しかし、緑一色の山の中に検索ピンが現れただけで神道は表示されない。
 梨本は仕方なく有沢に電話した。
「ナシ? どこ行ったの?」
「なんか、森の中?」
「足元に黒い柱みたいな表示があるから、それ探して」
 言われた通り、足元を見ながらうろうろと歩いた。
 数百メートルも歩いたころ、やっと目当てのものが見つかった。
「女人結界之碑、って」
「待ってて」
 言われたとおりじっとしていると、数分後に木々の間から小太りのシルエットが息を切らせ気味に現れた。
「どこ行ってたんだよ?」
「どこも行ってないよ。ナシの方が俺を置いてずんずん先に歩いて行っちゃって、ちょっと水飲んで休んでたら姿が見えなくなって」
「アリ、体力なさ過ぎじゃね?」
「こっち」
 しめたとばかりに声を掛けたが、有沢は聞き流して歩き出す。
 様子見も兼ねて大人しくついていくと、数百メートル歩いたところでいきなり視界が開けた。
 白く整備された道を有沢が示す。
「ナシ、ここから迷い込んだんだと思う」
「森の中を歩くなんて久しぶりだからさ」
 そういえばこの道を歩いていたと思い出しながら右に折れた。
「ナシ、反対。そっちは来た方」
 注意されて向きを変えたが、有沢に「待って」と呼び止められた。
「聞きたいことがあるんだけど。ナシ、さっき何食べたか覚えてる?」
「──そば」
 とっさに思い出せなかった。
「何だよ、いきなり?」
「ついさっき食べたものも、すぐに思い出せないって」
「いきなり聞かれたから。一瞬意味分かんなかっただけ」
「道だって。この道を辿って歩いて行けばいいだけなのに、曲がったところにだって案内が出てるのに、全然目に入ってないんだよ。ナシは食べたものも歩いた道も、何も目に入ってない。旅先でこうなんだから、普段もそうなんじゃない。本当に今、幸せなの?」
 メガネの奥から小さい目が鋭く梨本を見据える。
「──幸せだよ。言ったじゃん。アリ、考えすぎだって」
 食べたものを聞かれたときと同じように、答えが口から出るまで少し間が要った。

プロフィール

遠藤彩見(えんどう・さえみ) 東京都生まれ。1996年、脚本家デビュー。テレビドラマ「入道雲は白 夏の空は青」で第16回ATP賞ドラマ部門最優秀賞を受賞。2013年、初めての小説『給食のおにいさん』を発表。著書に、シリーズ化された同作のほか、『キッチン・ブルー』『イメコン』『バー極楽』『千のグラスを満たすには』などがある。

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