よみもの・連載

大人の旅の物語

1 男二人は聖地を目指す

遠藤彩見Saemi Endo

「だけど、お兄さんと経営していた会社は?」
 中社を詣で、次の火之御子社(ひのみこしゃ)を目指して再び神道に入ってからも有沢の追及は止まない。梨本が中社での祈りは秒で切り上げても、有沢の見る目は奥社から変わらない。
「辞めた。社長は兄貴だし、作ったのは親父だし。俺は俺で何かを成してみたいからさ。まあ、助けを求められれば、そりゃ家族だから助けるけどね」
 ──もう会社に近づくな。
 一カ月前、梨本は兄に言い渡された。
 妻が兄に泣きついたのと、梨本が勧誘した取引先の一社が兄に苦情を入れたのが同じころだったのが災いして、兄が激怒し、口論となって会社を辞めさせられた。
「それならお兄さんは──」
「分かった、アリに無理に商品を勧めたりしないから」
「俺が言ってるのはそうじゃなくて──」
「別に俺たち、世間が言うほどの悪徳プッシュをしてるわけじゃないよ? クーリングオフだってできるしさ。要らないよって断ればいいだけなのに、まるで詐欺師でも目の前にしたように大騒ぎする奴が多くて参るよな」
「そうじゃないんだって」
 有沢の声が少し大きくなった。
「ナシには向いてないんじゃないか、って言ってるの」
「……いや、知らないでしょ、このビジネスのこと」
「知らなくても、もうすぐ始めて一年でしょ? 結果が出てないってことは、そういうことなんじゃないの?」
「誰が結果出てないって言ったよ?」
「じゃあお兄さんはなんでナシのことを引き止めなかったの? ナシのビジネスが上手くいってるなら一緒にやるよね」
 一瞬口ごもりそうになる自分を奮い立たせる。
「仮に、結果が出てなかったとしたら、いやそんなことないけど、もし上手くいっていないとしたら、俺の努力が足りないからだろ」
「一年頑張ったなら充分だよ」
「──」
「ナシ?」
「なんかそれ、アドバイスマウンティングみたいに聞こえる。上から目線」
 怒ったら負けだ。必死で自分に言い聞かせた。有沢も同じなのか少し声が上ずった。
「上から目線なんかじゃないって」
「アリも周りが見えてないんじゃないの、ほら、緑がきれいじゃん」
 有沢が諦めたように息をついた。
「じゃあ、次はナシが喋って」
「はあ? 別に無理して喋り続けなくたっていいじゃん」
「神道の入口にあった看板、見てないの? 熊注意って」
「熊!?」
「この辺、ツキノワグマがいるんだよ。でも、熊は基本臆病だから音を立ててると来ないって。熊鈴つけて歩いてる人、何人もいたでしょ?」
「あれって熊鈴だったの?」
「そう。俺たちは熊鈴がないから、喋るか歌うかしかないじゃん」
「だけど、めったに出ないだろ、熊なんて」
「二カ月前に出たって」
「──」
「ほら、ナシ、なんか喋って。三十分喋り続けられるものを持ちなさい、って、高校の卒業式で校長先生が言ったじゃん」
「ああ……」
「俺たちデブで美味(うま)そうだから熊は待ってくれないよ」
「だよな……。うん、えーと……」
 今の梨本が三十分喋り続けられることといったら一つしかない。

プロフィール

遠藤彩見(えんどう・さえみ) 東京都生まれ。1996年、脚本家デビュー。テレビドラマ「入道雲は白 夏の空は青」で第16回ATP賞ドラマ部門最優秀賞を受賞。2013年、初めての小説『給食のおにいさん』を発表。著書に、シリーズ化された同作のほか、『キッチン・ブルー』『イメコン』『バー極楽』『千のグラスを満たすには』などがある。

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