よみもの・連載

大人の旅の物語

2 癒やしのホテル

遠藤彩見Saemi Endo

 やはりここはただのホテルではない。七○四号室に踏み入った瞬間、門松(かどまつ)は目を見張った。
 特大のスーツケース二つを押し入れながら奥に進む。細長く奥に伸びるホテルの部屋は、よくあるダブルルームだ。七・五畳といったところだろうか。左側の壁にヘッドをつけたダブルベッドが大半を占めている。
 奇妙なのは最奥の窓だ。
 腰高の窓の左半分が、クローゼットで塞(ふさ)がれている。真夏、八月の午後でカーテンが開いているにもかかわらず、室内が薄暗いのはそのせいだ。
 狭いから仕方なく、というのなら分かる。しかし、入口の左側にあるバスルームは部屋と同じくらいの広さがある。体を伸ばせるサイズのバスタブと洗面台、そして、大の男が余裕で腕立て伏せができるほどの、何もないスペースがぽかんと空いている。
 ――このホテルはバリアフリー。
   脚の延長手術をして車椅子になっても大丈夫。
 ホテル名をインターネット検索したら引っかかった、美容整形手術の情報交換サイトの書き込みを思い出した。
 ここ、ホテル・ヒーリングは美容整形手術を受けた患者のためのホテルだ。医療観光――地方から、あるいは海外から手術を受けにやってきた患者が、術後に長期滞在、療養できるように建てられたという。
 整形大国と呼ばれる韓国の美容整形クリニックが集中するエリア、整形ストリートと呼ばれる狎鴎亭(アックジョン)からほど近い、江南(カンナム)の一角にある。ホテル前に止めた車から荷物を出すわずかな間だけでも、帽子とマスクで顔を隠した女を見かけた。
 ――でも、実際は七パーセント程度だそうですよ。
   整形手術後の療養で滞在している宿泊客は。
 空港まで出迎えにきてくれたソウル支店の社員・成田(なりた)が言っていた。
 三十歳の門松は、東京にある総合商社でポリエステル製品の輸出に携わっている。ソウルにある得意先とミーティングや商談を行うために、四泊五日の予定でソウルにやってきた。ホテルはソウル支店の社員が手配した場所だ。
「まあ、悪くはないか」
 バスタブにはジャグジー装置がついている。ビジネススーツのジャケットを放ったダブルベッドは病院仕様だ。
「お、すげえ」
 リモコンのボタンを押すと、ベッドのヘッドレストが斜めに上がった。向かいの壁には四十二インチの液晶テレビが掛かっている。
 入ってすぐのところには、合板の引き戸で隠された全身鏡がある。
 キャビネットの上には電子レンジ。中にはグラスとカップ、皿とボウル。冷蔵庫もホテルにありがちなものより少し大きめで、冷蔵室と冷凍室が分かれている。食料を買い込み、人目を避けて引きこもるのにぴったりだ。
 患者を想定して設けられた設備はそれだけではない。

プロフィール

遠藤彩見(えんどう・さえみ) 東京都生まれ。1996年、脚本家デビュー。テレビドラマ「入道雲は白 夏の空は青」で第16回ATP賞ドラマ部門最優秀賞を受賞。2013年、初めての小説『給食のおにいさん』を発表。著書に、シリーズ化された同作のほか、『キッチン・ブルー』『イメコン』『バー極楽』『千のグラスを満たすには』などがある。

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