よみもの・連載

大人の旅の物語

2 癒やしのホテル

遠藤彩見Saemi Endo

 タンクトップとハーフパンツに着替えて部屋を出た。エレベーターに乗り込み、屋上のボタンを押す。眠気覚ましも兼ねて、昼間見たトレーニング器具を試してみようと思い立ったのだ。
 イヤフォンを耳に差し、スマホの音楽アプリを開いてトレーニングが盛り上がりそうなプレイリストを探していたとき、閉まり掛けたドアが開いた。
 屋上にいた包帯女が、薄暗い廊下を背に立っている。
 サングラスはひたと門松に向いている。昼間と違うのは、マスクを外し、赤く塗った唇を包帯の間からさらしているところだ。
 女がエレベーターに乗り込んでくる。
 並んで立つと体のきゃしゃさが分かる。鍛えた門松の体に比べると折れてしまいそうだ。剥き出しになった腕も白く細い。
「何階ですか? 上に行きますが」
 門松が英語で問いかけると、少しの間をおいて、ささやくような声がした。「え?」と聞き返すと、ささやき声が少し大きくなった。
「門松くん、久しぶり」
「え?」
「私」
 言ったあとで苦笑いしたのか赤い唇から息を吐いた。
「見ても分からないよね……」
「――」
「門松くんは財部(たからべ)商事で働いてるんだ? すごいね、一流商社じゃない」
 包帯女の背後でドアが開く。いつの間にか屋上に着いていたのだ。
 先に下りた包帯女につられるように下りた。
「あのさ、悪いけど……君、誰?」
「門松くんはこんな時間に、何で屋上? あ、涼みにきたの?」
「……ちょっと、体を動かそうかと」
「へえ、鍛えてるんだ」
 サングラスが、門松が身につけたスポーツブランドのウェアと、手にしたタオルとペットボトルに向く。
「――」
 ささやき声がまた聞き取れず、耳を少し女に近づけると「ごめんね」とすまなそうなささやきが聞こえた。
「今ね、声が枯れちゃってるの。私ったら手術のときに叫びまくっちゃって、お医者さまも呆(あき)れてた」
 どんな壮絶な手術なんだよ、と眉を寄せた門松をよそに、女が板塀の向こうを見渡す。
「ここ、夜景がきれいなの。何回見ても飽きない」

プロフィール

遠藤彩見(えんどう・さえみ) 東京都生まれ。1996年、脚本家デビュー。テレビドラマ「入道雲は白 夏の空は青」で第16回ATP賞ドラマ部門最優秀賞を受賞。2013年、初めての小説『給食のおにいさん』を発表。著書に、シリーズ化された同作のほか、『キッチン・ブルー』『イメコン』『バー極楽』『千のグラスを満たすには』などがある。

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