よみもの・連載

大人の旅の物語

2 癒やしのホテル

遠藤彩見Saemi Endo

 成田が素直に応じて向かったのは近くの席だ。支社の男性社員が二人、こちらに背を向けて座っている。成田が座ったのを見届けてからレナに声を掛けた。
「ごめん、俺、ちょっと電話しないと。今日はありがとう」
 またいつかどこかで、と心にもないことを言ってレナを送り出し、店を出ていったのを確認してから、成田を手招きした。
「妹がソウルに来てて、食事だけでも、ってことになって」
 来るな、と制したのだから後ろめたいことだとバレているだろう。しかし成田は淡々と「そうですか」とうなずいただけだ。
「せっかくですから門松さんも一杯いかがですか」
「いえ、帰ります。明日もありますし。まだまだ大切な仕事が控えてますから、体を休めないと」
「ご自分に厳しくしていらっしゃるんですね」
 抑揚のない言い方は、門松を揶揄(やゆ)しているようにも聞こえる。格の違いを思い出させてやろうと声を張った。
「本社の研修では、しつこいほど言われるんですよ。仕事のパフォーマンスを上げるには、自分のコンディションを整えることが一番大切だ。そのためには、日常の行動において、常によりよい選択をしなければいけない、とね」
 成田が「なるほど」とうなずいた。
「確かに、物事は旅のようなもので、何でも自分に返ってきますからね」
「でしょう?」
 そう、努力は裏切らない。美しい筋肉となって門松の体を輝かせる。
 ――人は三十歳を過ぎると自分と結婚する。
 所属部署の上司が言っていた。大人になり、こだわりが身について自分優先になってしまう、という意味だ。
 門松も自分と結婚し、自分だけを愛しているのだ。
 早くホテルに戻ってプロテインドリンクでくつろごう。自分に向けて心の中で呼びかけ、伝票を成田に差し出した。
「これ、お願いできますか」
「はい」
「成田さんたちの今日の食事代も一緒に経費で落としちゃっていいですよ」
「いえ、今は業務外ですから。門松さんたちの分だけ領収証を貰います」
 成田が通りかかった店員を呼び止め、門松を手で示して伝票を差し出し、ついで財布を出す。せっかく言ってやったのに、と呆れる門松の前で、金を渡して何ごとか告げる。タカラベ、というフレーズが聞き取れた。
 店員がすぐにうなずく。さすが有名企業、と嬉しくなった門松の耳に、昨夜きいたささやきが蘇った。
 ――門松くんは財部商事で働いてるんだ? すごいね、一流商社じゃない。

プロフィール

遠藤彩見(えんどう・さえみ) 東京都生まれ。1996年、脚本家デビュー。テレビドラマ「入道雲は白 夏の空は青」で第16回ATP賞ドラマ部門最優秀賞を受賞。2013年、初めての小説『給食のおにいさん』を発表。著書に、シリーズ化された同作のほか、『キッチン・ブルー』『イメコン』『バー極楽』『千のグラスを満たすには』などがある。

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