よみもの・連載

大人の旅の物語

2 癒やしのホテル

遠藤彩見Saemi Endo

 人によって価値観が違うのは当たり前だ。でも、きついトレーニングと仕事の両立で疲弊し、厳しい食事制限で気持ちが沈みがちなところにそういう言葉を浴びせられるのはたまらない。そうでなければ食事制限を破らせようと誘惑して門松を苦しめる。
 ――糖質ゼロだから大丈夫。
 さっきのレナのように、よく知りもしないくせにえらそうに言うのだ。
「ありがとう」
 ささやき声がした方に向くと、サングラスがじっと門松を見ている。
「昨日ね、門松くんが会社の人とホテルのロビーに入ってきたのを見かけたの。財部商事に勤めてるっていうのも、そのときに二人の話を聞いて。こんな姿を見られたくないから、隠れてたんだけど……。門松くんがフロントの人に、屋上ガーデンのこと、トレーニング設備のことを聞いてたでしょう? 体を鍛えてる、って。それを聞いたら、どうしてももう一度会いたくなって。門松くんなら、私の気持ちを分かってくれるような気がして」
「――」
「門松くんと話せてよかった」
 カイコが立ち上がった。
「そろそろ帰りましょう。門松くんはお仕事があるし、私も明日は診察に行くから」
 またカイコをエスコートしながら、タクシーがつかまる道へと歩いた。「優しいね」とカイコがささやく。
「ね、ホテルの近くに、とってもおいしいコーヒーショップがあるの。門松くんがソウルにいる間に一緒に行かない?」
「うーん、時間がね……。朝は時間がないし、明日明後日は帰りが遅いし。とくに最後の夜は会社を代表しての接待だから、とことん得意先に付き合わないといけないんだ」
「すごいお仕事をしてるのね」
「まあ、会社から期待されてるのはありがたいかな。大変だけどね。最終日なんて、朝一のフライトで日本に戻って即会議」
「そうなんだ、じゃあ仕方ないね……」
 ささやきが寂しそうに聞こえた。焦(じ)らして気を惹(ひ)く作戦は上手く行きそうだ。
 作戦はそれだけではない。

プロフィール

遠藤彩見(えんどう・さえみ) 東京都生まれ。1996年、脚本家デビュー。テレビドラマ「入道雲は白 夏の空は青」で第16回ATP賞ドラマ部門最優秀賞を受賞。2013年、初めての小説『給食のおにいさん』を発表。著書に、シリーズ化された同作のほか、『キッチン・ブルー』『イメコン』『バー極楽』『千のグラスを満たすには』などがある。

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