よみもの・連載

大人の旅の物語

2 癒やしのホテル

遠藤彩見Saemi Endo

「門松くん、言ってたよね。物事は旅なんだ、どんなことも必ず自分に返ってくるって」
「手術して痛いんだか辛(つら)いんだか知らないけど、俺に八つ当たりすんな」
 やっとロビー階に着いた。エレベーターを飛び出してロビーを見渡す。
 思い思いに過ごす客たちの向こう、十メートルほど先の出入口前にシャツワンピースを着たカイコが立っている。深々とキャスケットを被り、スマホを耳に当てている。
 カイコのサングラスが門松に向いた。
 チェックアウトや延長の申し出を済ませていないからだろう。さっき部屋に来たスタッフが近づいてきたが、待てと制してカイコとの距離をじりじりと詰めていく。
 カイコは動じない。スマホを通じてささやき続ける。
「あなたバカじゃないの? 顔全体を手術して包帯も取れないうちに、こんなペラペラ喋れるわけないでしょう? 睡眠薬を飲んだって、痛みでろくに眠れなかったくらいなんだから。手術なんかとっくに終わってる」
 カイコがきびすをかえし、表へと飛び出していった。
「待てよ!」
 追ってロビーを突っ切った。スタッフの呼び声が聞こえたが、かまわずドアを突き開けて、表に飛び出した。
 カイコの姿は消えている。
 やみくもに駆け出し、一番近い角を曲がって門松は立ちすくんだ。
 キャスケットとシャツワンピースが脱ぎ捨てられている。その横には白い固まりが落ちている。
 拾い上げると、フェイスサポーターに包帯を仮面のように縫い付けたものだ。
 カイコが言っていたことを思い出した。
 ――門松くんが会社の人とホテルのロビーに入ってきたのを見かけたの。
   財部商事に勤めてるっていうのも、そのときに二人の話を聞いて。
 門松と成田は普通に話していただけだ。少なくともロビーの中、二人が見える位置にいた人間でなければ話が聞こえるはずはない。
 カイコはロビーにいたのだ。包帯もサポーターもつけることなく。
 向きを変え、人々が行き交う通りを見渡すと若い女は何人もいる。道端で、向かいのカフェの前で、止めた車の中で、スマホを耳に当てているものが。
 この中にカイコがいたとしても、門松には分からない。
 追ってきたスタッフたちが門松に向かって怒声を上げる。無意識にまだ耳に当てていたスマホから、含み笑いが聞こえた。
「私たち、いつか、またどこかで会うかもね」
 ぶつりと通話が切れた。

(了)

プロフィール

遠藤彩見(えんどう・さえみ) 東京都生まれ。1996年、脚本家デビュー。テレビドラマ「入道雲は白 夏の空は青」で第16回ATP賞ドラマ部門最優秀賞を受賞。2013年、初めての小説『給食のおにいさん』を発表。著書に、シリーズ化された同作のほか、『キッチン・ブルー』『イメコン』『バー極楽』『千のグラスを満たすには』などがある。

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