よみもの・連載

大人の旅の物語

3 空飛ぶ修行

遠藤彩見Saemi Endo

【風馬】
「『やばい』って、何が?」
 できるだけ淡々と風馬が言うと、栞が「え?」と聞き返した。
 保安検査場が大混雑の上、風馬たちの優先レーンでは金属探知機のチャイムとどよめきが交互に続く。前に並んだ熟年グループが、一人おきに金属探知機に引っかかっては「おお!」「ああ!」と騒ぐのだ。
「剣崎さんが言ってた、『やばい』って、何のこと?」
 少し声を大きくして尋ねると、栞が表情を少し雲らせて口を動かした。
 熟年グループよりうるさいのは隣のレーンに並んだ若い男女のグループだ。旅を終える感傷なのか、皆で手を取り合い涙目になっている。
「ありがとう、ほんと、この旅に来られてよかった!」
「きっと永遠の思い出だよね!」
「みんな最高!」
 興奮した叫び合いに負けまいと「何て?」と声を張って聞き返すと、栞が素っ気なく言い捨てた。
「知らない」
「いや、知らないって剣崎、栞のことを」
「すごいね、空港って人をポエマーにするのかな」
 栞が隣のレーンを見て笑う。食い下がるのもためらわれて口をつぐんだ。
 一本挟んだ向こうの通常レーンでは、先頭になった剣崎が前に進み、折りたたんだ紙をゲートの読み取り部分に当てる。紙に印刷したチケットのバーコードだろう。
 そして係員からプリントされた保安検査証を受け取ると、金属探知機のゲートをくぐり、X線を通したバッグを持って去っていく。
「私たちも通常レーンに行けばよかったね……」
 栞が肩をすくめ、手にしたスマホの画面に視線を向ける。
 ──やばい。
 剣崎の声が風馬の耳の奥でリフレインする。
 栞が剣崎に抱き寄せられていたのは、いったい何だったのだろう。
「栞、剣崎さんが言ってた『やばい』って何だったの?」
「だから知らないって」
「剣崎には気をつけた方がいいよ。バーの店長も持て余してるから。店に来る女の子を口説いて、何度もトラブルを起こしてるって」
 それだけではない。店の酒を勝手に持って帰ったり、常連客に暴言を吐いたりと、店で働き始めて半年も経(た)っていないのにやりたい放題らしい。風馬と仲のよい店長が愚痴っていた。世話になった人の頼みで雇ってしまったのでクビにもしづらいという。

プロフィール

遠藤彩見(えんどう・さえみ) 東京都生まれ。1996年、脚本家デビュー。テレビドラマ「入道雲は白 夏の空は青」で第16回ATP賞ドラマ部門最優秀賞を受賞。2013年、初めての小説『給食のおにいさん』を発表。著書に、シリーズ化された同作のほか、『キッチン・ブルー』『イメコン』『バー極楽』『千のグラスを満たすには』などがある。

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