よみもの・連載

大人の旅の物語

3 空飛ぶ修行

遠藤彩見Saemi Endo

「でもさ、俺の隣、女の人なわけ。触ったりしない方がいいじゃん」
「私は」
 大きくなった声のボリュームを必死で絞った。
「私、休みたい。寝て疲れを取りたいの。さっきからしつこく言って悪いけど」
 風馬が肘を引いた。
 さっきから、とまでは言わない方がよかったのかもしれない。肘掛けにもたれて目を閉じたとき、冷ややかな声が聞こえた。
「剣崎がいたよ。普通席の前から三列目の窓際。俺の顔を見て、ぱっと目を逸(そ)らしてた」
「へえ……」
 全身が重い。瞼(まぶた)から床に沈み込んでいくようだ。リクライニングにできるまで待てずに眠ろうとしたとき、風馬が続けた。
「あのさ、剣崎が俺を見て『やばい』ってあれ、何なわけ?」
「だから、私は本当に知らないって」
「剣崎、栞のこと抱き寄せようとしてたよね」
「私は訳わかんないから。剣崎さんに聞いてくれば──」
「シートベルトサインが出てるし、栞がここで話せば済むことじゃん」
 苛立(いらだ)ちで目が一気に覚めた。
 右側を向くと風馬とまともに目が合った。もう話すしかないと腹をくくった。
「剣崎さんに何回かバーで誘われたの。二人で飲みに行こうとか」
「やっぱり」
「断ったし、剣崎さんがうざいから一人じゃバーに行かなくなったし。でも、さっきみたいにばったり出くわしたら……。何もなかったことにするには、普通に挨拶するしかないでしょ。私と剣崎さんが揉(も)めて風馬くんがあのバーに行きづらくなったら悪いじゃない。風馬くんは店長とも仲良しでバーにしょっちゅう行ってるんだし──」
 気づいて座り直した。

プロフィール

遠藤彩見(えんどう・さえみ) 東京都生まれ。1996年、脚本家デビュー。テレビドラマ「入道雲は白 夏の空は青」で第16回ATP賞ドラマ部門最優秀賞を受賞。2013年、初めての小説『給食のおにいさん』を発表。著書に、シリーズ化された同作のほか、『キッチン・ブルー』『イメコン』『バー極楽』『千のグラスを満たすには』などがある。

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