よみもの・連載

大人の旅の物語

3 空飛ぶ修行

遠藤彩見Saemi Endo

【風馬】
 よりにもよって、こんなときに隠しごとがバレてしまうとは運が悪すぎる。
 ベルトサインが消えたのは天の助けだ。シートベルトをもぎ取るように外した。左側から深い溜息が聞こえたが、振り払うように隣の女をまたいで通路に出た。
 まずは前方にあるトイレに向かい、用を済ませてから後方に向き直った。
 普通席を見渡すと、観光疲れのためか寝ている乗客が多い。三―四―三と分かれた席の、三席並びの前から三列目、窓際に剣崎が座っている。
 眠っているのか、サマーニットのキャップを目が隠れるまで下ろして被(かぶ)っている。大人っぽい今の恰好とは不釣り合いだが、那覇で被っていたものだろうか。
 剣崎の隣に座っているのは剣崎と同年代の女で、通路側は初老の男だ。それぞれスマホをいじっている。その二人の前に身を乗り出して剣崎を叩(たた)き起こす勇気はなく、仕方なく通り過ぎた。
 のろのろと通路を進み、自分の席に近づくと、気づいた栞が風馬を見上げた。責めるような視線から逃げるように、席を通り過ぎて機内最後部に向かった。
 最後部の窓まで行き、ガラスにもたれて外を見た。しかし夜の窓ガラスは疲れ切った風馬の顔を映すだけだ。
 絵に描いたような疲れ顔を見て苦笑いしたとき、隣に女の顔がすっと浮かんだ。
「お客様」
 しまった、と疲れ顔が引きつった。恐る恐る顔を向けると、横から声を掛けたチーフパーサーの額田が「あら」と小さく目を見張った。
「千原様、お帰りなさいませ」
「どうも……」
 恥ずかしくて顔が上げられない。
 短時間での往復という、普通ではないスケジュールを組むと、行きも帰りも同じスタッフに遭遇してしまい、修行僧であることがバレてしまう。修行において「恥辱プレイ」と呼ばれる場面だ。
 額田とは昨日の往路に続いて二度目の遭遇になる。しかも、前回はロイヤルクラスだったのに今は普通席。疲れ切ってよれよれだ。
 あまりの恥辱プレイに悲しくなったが、額田は修行僧に慣れているのか、「ご利用ありがとうございます」と優しく微笑んでくれた。
「千原様、まもなくドリンクサービスが始まります。しばらくワゴンが通路を塞ぎますので、お席に戻っていただいた方がよろしいかもしれません」
「はい」
 旅のはじまりはシャンパンで乾杯したんだよな、と思い出したとき、風馬はあることを思いついた。

プロフィール

遠藤彩見(えんどう・さえみ) 東京都生まれ。1996年、脚本家デビュー。テレビドラマ「入道雲は白 夏の空は青」で第16回ATP賞ドラマ部門最優秀賞を受賞。2013年、初めての小説『給食のおにいさん』を発表。著書に、シリーズ化された同作のほか、『キッチン・ブルー』『イメコン』『バー極楽』『千のグラスを満たすには』などがある。

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