よみもの・連載

大人の旅の物語

3 空飛ぶ修行

遠藤彩見Saemi Endo

【栞】
 風馬の視線が右の頬を刺す。ストレッチを教えるときのように、腹式呼吸を繰り返した。
「何で、私に言ってくれなかったの?」
「実現可能か、まだ分からないし、もう少し全体像が固まってから話そうと思って」
「私たち、一緒に暮らしてるんだよ。私の生活も変わるのに」
「実現させるとしたら、いろいろあり過ぎるじゃない」
 切羽詰まった声が続ける。
「一緒に来てもらうとしたら、栞の仕事のことを考えないとじゃない。栞は宮崎に一人も知り合いがいないし、ゼロからのスタートになるしさ。それに、宮崎と北海道の間には直行便がない。飛行機だけじゃなくて新幹線もバスも。距離だけじゃない、費用もかさむ。栞を北海道の実家から、さらに遠く離してしまうことになるよね」
「——」
 こんなに細かく考えてくれていたのだ。
 やっと右側へと顔を向けることができた。風馬がじっと栞を見つめている。
 しかし、今度は風馬が栞から視線を逸らした。
「だけどさ、栞は俺の家族になる気はないんでしょ?」
「私そんなこと言った?」
「家族になるのを断ったじゃん」
「いつ!?」
「LMC修行をするって決めたとき、栞には俺の家族カードを作るよって言ったよね? で、断ったじゃん」
 身を乗り出して風馬の顔を覗(のぞ)き込んだ。
「そうだよ。私も自分のが欲しいから」
「何で。家族カードで問題ないじゃん。年会費だって半額以下だよ? 平均寿命まで生きたとして、どんだけ金が浮くか分かるよね?」
「欲しいものは損得じゃないの、気持ち」
「だけど、こんなキツい修行だってしなくて済むじゃん。修行に掛けた金で、あとでゆっくり二人旅を——」
「修行は一生に一度のことじゃない」
「——」
「この先一生、日本中央航空の飛行機に乗るたびに、風馬くんと修行したことを思い出すんだよ。それっていいなと思ったから。風馬くんもそうだと思ってた」
 風馬ははっとしたように顔を上げ、栞を見た。
 隣の男に触れないよう苦労しながらシートベルトを外す。

プロフィール

遠藤彩見(えんどう・さえみ) 東京都生まれ。1996年、脚本家デビュー。テレビドラマ「入道雲は白 夏の空は青」で第16回ATP賞ドラマ部門最優秀賞を受賞。2013年、初めての小説『給食のおにいさん』を発表。著書に、シリーズ化された同作のほか、『キッチン・ブルー』『イメコン』『バー極楽』『千のグラスを満たすには』などがある。

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