よみもの・連載

おひとりさまごはん

ひとりで飲茶

深緑野分Nowaki Fukamidori

「いいじゃないの、そのくらい贅沢(ぜいたく)したって。みえちゃんのお祝いの会なんでしょ?」
 帰宅して、台所でお総菜のパックを開けていた母に、服に五万円も使ってしまったというと、威勢のいい返事が返ってきた。もう何年も自分の服を買っていないという母だから、てっきり「高い洋服なんて無駄遣い」と叱られるかもと思っていたのに、あまりにあっけらかんと肯定されたので、こちらがぽかんとしてしまう。
「あんたももう二十五歳なんだから、良い服のひとつやふたつ持っておきなさい。縫製のいい服なら、何年でも着られるしね」
 駅前のクリーニング店でパートをしている母は時々、世の中の洋服の縫製の甘さを嘆くことがあった。なるほど。母は私としゃべりながら菜箸をてきぱき使って、キツネ色をした平たいコロッケを四個、トースターに並べてスイッチを入れ、今度は別のパックからポテトサラダをもったりと持ち上げて真ん中に盛った。今晩はポテトづくしだ。
「それでワンピースはどこで買ったの?」
「大福百貨店のここ……」
 私が紙袋を掲げて見せると、母は菜箸を持った手でぱんとブランドロゴの部分を叩(たた)いた。ポテトサラダのかけらがぴょんと跳んで流し台のへりにくっつく。
「立派なブランドじゃないの。おかーさんもたまにここの服をクリーニングで扱うけどね、いい服だと思ってたんだ。どれ、着て見せてごらんよ」
「ええ? いいよ」
「いいよ≠カゃない。みえちゃんのお祝いには、小説家とか編集者とか、ブンダンの人が来るんでしょ?」
 ブンダン。すぐに頭の中で漢字変換ができなかったけど、文壇、と書くはずだ。なにやらたいそうな字面だ。そんなすごいところに、私の幼なじみは行くのか。
「しかも会場はホテルだなんて。変な格好だったらつまみ出されるかもよ! ほら、おかーさんが見てあげるから」
 私は神妙に頷(うなず)き、小走りで部屋に向かった。物心ついた頃からずっと暮らしている古いマンションの、私のにおいがしみついた小さな部屋で、カーディガンやらジーンズやらを脱ぎ、買ったばかりのグレーのワンピースに袖を通す。しかし背中のファスナーがうまく閉められない。サンリオのキキララちゃんがくっついた水色の鏡を覗(のぞ)き込んで、両腕を不器用に背中にやりながら歯を食いしばる。そうこうしていると、ドアの向こうで炊飯器がピーッと鳴る音がし、母が「ケンタ! 手伝いなさい!」と、大学生の弟を呼ぶ声が聞こえた。
 どうにかファスナーを上げ、おそるおそる居間に向かうと、お味噌汁(みそしる)を運ぶ途中だった弟がぴたりと立ち止まり、すうっと両目を細めた。しかし何も言わずに私の前を通りすぎて、テーブルにお椀を置く。母が濡(ぬ)れた手をタオルで拭きながら、台所から顔を出した。
「あら、いいじゃないの。よく似合ってる。その紫のベルトも買ったの?」
「うん。お店の人がこれと合うからって」
 私は下を向いて、改めてワンピースとベルトの組み合わせを見た。華奢(きゃしゃ)なベルトは大人っぽく、さりげないワンポイントになっていると思う。母も頷いた。

プロフィール

深緑野分(ふかみどり のわき) 1983年神奈川県生まれ。2010年「オーブランの少女」が第7回ミステリーズ!新人賞で佳作に入選。
13年に同作を含む短編集『オーブランの少女』でデビュー。
他の著書に『戦場のコックたち』『分かれ道ノストラダムス』『ベルリンは晴れているか』『この本を盗む者は』がある。

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