よみもの・連載

おひとりさまごはん

ひとりで飲茶

深緑野分Nowaki Fukamidori

 このたび賞をもらうというみえちゃんは、同じマンションの二階上に住むおうちの子だった。ピンク色の縁のメガネをかけていて、一緒に過ごした幼稚園から小学校まで、どのクラスでも一番小柄だった。しゃべるとすぐに顔が赤くなってしまい、よく男子からからかわれ、泣きべそをかく。私が代わりに男子を叱り飛ばしたこともあった。
 みえちゃんが赤面せずに話せるのは、同級生ではたぶん私くらいだった。成績のよかったみえちゃんは、中学に上がる前、私立の有名校に合格して、家族みんなで引っ越してしまった。それでも彼女は毎年欠かさず私に年賀状と暑中見舞いを送ってくれた。ちょうど大学受験の頃、年賀状に携帯電話の番号とメールアドレスが暗号で書いてあった。でも私は二晩かかっても解けず、結局弟に助けてもらい、やっとみえちゃんに電話が出来た。思えば、彼女はずいぶん変わった子だった。それからは一年に一度くらい会って、お茶をして、近況を報告しあった。
「あたしね、今、小説を書いているの」
 そう教えてくれたのは、半年くらい前のことだ。いつものカフェで、私は季節のおすすめパフェを、みえちゃんは毎度同じホットケーキを食べていた。
 何気ない口調でぽつんと打ち明けられた時、私は本好きのみえちゃんだかららしい≠ネあ、くらいにしか思わなかった。どんなあらすじなのかとか、読んでみたいとか訊いた気がするけれど、どんな返事が返ってきたか覚えていない。そもそも私は本をろくに読んだことがなかった。国語の授業は退屈だったし、図書室にもほとんど行ったことがなく、読書感想文を書くのが億劫(おっくう)でしかたがない、というタイプだ。
 だから受賞の報を聞いてから、あの時、もっとちゃんと話を聞いてあげれば良かったな、と少し後悔していた。
 火曜日の夕方、会社を定時で上がった私はATMでお金を下ろし、どきどきしながら地下鉄の御茶ノ水(おちゃのみず)駅で降りた。コートの下には、すでに例のワンピースを着ている――会社の最寄り駅のおしゃれなビルのおしゃれなトイレで着替え、ベルトを締め、ファンデーションを塗って睫毛(まつげ)をマスカラで上げ、ピンクの口紅を塗ってきた。ストッキングは会社からそのままだけど、靴はここで替える。
 履きやすいローヒールの通勤用パンプスを脱いで、小学生時代に使っていた上履き袋に入れてきた、黒いハイヒールを出す。大学入学記念に買った生まれてはじめてのハイヒールだったが、あれから七年、数えるほどしか履いていない。光沢のあるエナメルで、つま先は尖(とが)りすぎず丸すぎないアーモンドトウ、ヒールの高さは五センチ。「ジス・イズ・ザ・無難ね」とは、母の弁である。無難で何が悪い。
 着替えたスーツと上履き袋に入れたローヒールを御茶ノ水駅のロッカーへ預け、少し背が高くなった私は地下道を歩き出す。ひさびさで、しばらくは足もとに集中しないと転んでしまいそうだった。あらかじめ足の小指と親指には絆創膏(ばんそうこう)を貼ってあるけれど、もうすでにぐりっとした痛みを感じる。
 階段を上がると、どぶと銀杏(いちょう)と木の葉のにおいが入り交じったような秋のひやりとした風が吹き、髪が一筋、口に入った。思ったよりも駅のまわりは暗く、一瞬方向を見失いかけ、青信号が点滅する横断歩道を渡りそうになってしまった。地図を確認して、線路と神田川の上にかかるお茶の水橋を渡る会社帰りの人や学生たちに続き、神保町の方へ向かう。

プロフィール

深緑野分(ふかみどり のわき) 1983年神奈川県生まれ。2010年「オーブランの少女」が第7回ミステリーズ!新人賞で佳作に入選。
13年に同作を含む短編集『オーブランの少女』でデビュー。
他の著書に『戦場のコックたち』『分かれ道ノストラダムス』『ベルリンは晴れているか』『この本を盗む者は』がある。

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