よみもの・連載

おひとりさまごはん

ひとりで飲茶

深緑野分Nowaki Fukamidori

 思わず声が出そうになった。映画に登場する洋館の中みたいだ。床は真っ赤な絨毯(じゅうたん)で、ヒールがすっと沈み、硬いアスファルトを歩いてきた足に優しかった。地元の文化会館に敷かれていた絨毯はこんな感じの赤だった。赤い床に白い壁、シャンデリアの光は黄色っぽい。照明設備はどれもガラスで出来ていて、壁や天井に影と光の幾何学模様を作っていた。きっとホテルの宿泊料金も高いんだろう。それなのに、招待客はご飯無料でいいだなんて。
 ロビーの黒いソファはまるで社長室にありそうな革張りで、洒落たテーブルには白いレースのクロスがかかっている。柱時計もどっしりとしてかっこいい。ずいぶん昔からあるホテルなのだろう、造りは古かったけれど、どこもかしこもぴかぴかできれいだ。私のワンピースも形がクラシカルだから、よく合っているように思えた。みえちゃんに褒めてもらえるかもしれない。
 だけど、人が多すぎた。
 クロークは長蛇の列、やっと預けて案内された会場は人でごった返し、部屋の中へ入れない。こんなにたくさんの人がみえちゃんを見に来たのだ。それってすごいことだ。
 ……と思ったのはほんの一瞬で、廊下で順番を待っていると、スーツの人や私服の人にどんどん追い越され、肩をどつかれて、その割に列はまったく動かず、結局壁際に貼りついているしかなくなった。私は席取りに負けてしまったらしい。入口にいた係の人はああ言ったけど、くつろぐなんてとても無理。
 廊下の端で配っていた文芸誌を一冊もらい、ハンドバッグに入るか入らないかとごそごそやっていると、誰かがマイクを使って話す声が聞こえてきた。「えー、みなさま、本日はお忙しい中お集まり頂いて……」だけど、廊下からでは誰が話しているのかまったく見えない。見えるのは、黒い頭、茶色い頭、銀色の頭、私に後頭部と背中とおしりを向けている人垣ばかり。どうにか会場の中を見られないかと背伸びしていると、拍手が起こり、聞き覚えのある声が流れた。
「はじめまして、三条(さんじょう)みえです。このたびは、選んで頂きありがとうございました。この小説は……」
 みえちゃんだ。間違いない。もっと前に行かなければ。けれどみんな同じことを考えるのか、他の人たちもずいずいと前に進み、入口付近が余計に詰まっただけだった。それでも人と人の隙間からほんの少しだけ会場の様子が見えた。私はてっきり、場内は椅子が並んでいて、座れなかった人たちが廊下にはみ出しているのだろうと思っていたけれど、そうじゃなかった。場内は廊下よりももっと大勢の人がぎゅうぎゅうに詰め込まれ、立ったまま壇上を見つめている。しかも、みえちゃんの挨拶はすぐに終わってしまい、長々しい社長の話がはじまってしまった。
 気持ちがどんどんしぼんでいく。挨拶もろくに聞けず、知り合いもおらず、会場に入れもせずに、しょんぼりうなだれている私。
 素敵なグレーのワンピース。こんなに高い服を張り込んで買って、馬鹿みたいだ。おへそのところに金具がくるよう巻いていた細いベルトは、歩いたりなんだりしているうちにすっかり位置がずれて、ただの紫の紐(ひも)を縛っている風に見える。ハンドバッグに入りきらなかった文芸誌が、口から顔を出して、どうにもかっこ悪い。

プロフィール

深緑野分(ふかみどり のわき) 1983年神奈川県生まれ。2010年「オーブランの少女」が第7回ミステリーズ!新人賞で佳作に入選。
13年に同作を含む短編集『オーブランの少女』でデビュー。
他の著書に『戦場のコックたち』『分かれ道ノストラダムス』『ベルリンは晴れているか』『この本を盗む者は』がある。

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