よみもの・連載

おひとりさまごはん

ひとりで飲茶

深緑野分Nowaki Fukamidori

 授賞式が終わり、人が出たり入ったりしても、会場の中は相変わらず満員電車みたいだった。パーティは弟が言ったとおり立食だったけれど、テーブルまで辿(たど)り着くのにいったい何人の人を押しのけなければならないのだろう。みえちゃんがいるらしい壇上ははるか遠く、一緒にご飯を食べるのも無理そうだった。まだカメラのフラッシュが瞬いているし、そもそも受賞者は忙しくて、私に構ってるひまなんかないのだ。
 他の人たちは次々に知り合いを見つけて、大いに笑い、大いにしゃべりながら、お皿を手にローストビーフやらロブスターやらへと突っ込んでいく。でも私はひとりぼっちだ。パーティでひとりでご飯を食べて、何が楽しいんだろう。
 鼻の奥がつんとした。いや、泣いたりするもんか。だけど胸のあたりがずんと重く、急にくたびれ、力も抜けていく。私はくるりと踵を返して賑(にぎ)やかな会場に背を向けた。腹も立たないし、残念だとも思わない。ただ、どうにもこうにも哀(かな)しくてたまらなかった。
 足が重く、小指もさっきより痛い。あの坂道を下ったり上ったりして帰ることを考えると億劫で仕方がない。それでも廊下を戻りロビーに出て、クロークへ向かう。
 その時、私を追いかけるようにして、美味しそうな食べ物のにおいが漂ってきた。
 はじける油の香り。茹(ゆ)でた鶏のむわっとしたにおいに、食欲をそそるにんにくのかぐわしさ。たちまちお腹がぐうと鳴る。どこから香っているんだろう? 
 導かれるようにして私はにおいを辿った。さっきは人が多すぎて気づかなかったけれど、ロビーには壁沿いに洒落たバーがあり、その先に、地下へ向かう階段があった。天井は白くゆるやかにカーブし、鉄とガラスで出来た小さなランプが、「こちらへ下りてらっしゃい」と静かに囁(ささや)いている気がした。
 下から美味しそうな香りが強く立ち上ってくる。私は指先を壁に沿わせ、おそるおそる、ロビーと同じ赤い絨毯が敷かれている階段に足を下ろした。秘密の地下室へ下りていくような気分だ。一段、また一段と下りるごとに、人の声が聞こえなくなっていく。みんな授賞式へ行っているせいか、他の客の姿が見えないのだ。
 階段を下りた正面にはガラス張りのカフェがあり、手前には更に地下へ下りる階段が、左手の奥にはレストランがあった。食欲をそそる香りは、レストランの方から漂ってくる。
 ガラス細工のランプが落とす、幾何学的なきらきらした影と光の波の中、私はふらふらと、吸い寄せられるようにレストランに近づいた。大理石の壁にはチャイニーズダイニング・北京≠ニ書かれている。父が行ったことがあるという、中華料理のお店に違いない。表に出ていたメニューをちらりと確認して、来た道を振り返り、もう一度メニューを見た。今の私にもどうにか払える金額だ。「せっかくタダでローストビーフが食えるのに!」と文句をたれる弟のあきれ顔が一瞬頭をよぎったけれど、私は金色のドアノブに手をかけた。ATMに寄っておいてよかった。

プロフィール

深緑野分(ふかみどり のわき) 1983年神奈川県生まれ。2010年「オーブランの少女」が第7回ミステリーズ!新人賞で佳作に入選。
13年に同作を含む短編集『オーブランの少女』でデビュー。
他の著書に『戦場のコックたち』『分かれ道ノストラダムス』『ベルリンは晴れているか』『この本を盗む者は』がある。

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