よみもの・連載

おひとりさまごはん

ひとりで飲茶

深緑野分Nowaki Fukamidori

「あの、点心ばっかり食べても大丈夫ですか?」
 おずおずと訊ねると、彼女はぱっと弾けるような笑顔になった。
「もちろん大丈夫です。どれも美味しいですよ、たくさん食べて下さい」
 それで、俄然(がぜん)元気が出てきた。そうだ、食べたいものだけ食べていいんだ。今は私ひとりだけで、父も母も弟もいないし、見知らぬ人たちに囲まれているわけでもない。かっこつけて高いものを食べなくてもいいし、かといって遠慮もいらない。
「じゃあ、小籠包(しょうろんぽう)も下さい。それからエビ餃子と……翡翠(ひすい)餃子も。あっ、焼き餃子も美味しそう……だけど、四個かあ。食べきれるかな」
 メニュー写真にある焼き餃子はぽってりした皮に焦げ目がついていて目を惹(ひ)くけれど、メニューにあるのは四個か、六個。これはなかなか胃に重たいのではないか、そう諦めかけていると、係の彼女がやや腰をかがめ、内緒話でもするかのように耳打ちしてきた。
「二個でも注文できますよ」
 そう言ってまるで共犯者みたいにいたずらっぽく微笑む彼女に、心がふくふくして、えいやっと威勢が良くなる。
「焼き餃子も、追加で!」
「はい、焼き餃子二個」
 頼んだぞ。頼んだ。こんな高級そうなお店でひとりで点心を食べるなんて信じられないけど、でもやってやったぞ。私の体の中で勇気が小躍りしている。
 最初に到着したのは春巻きだった。カットしたものしか見たことがなかった私は、春巻きなるものが本当は皿からはみ出すくらい長く、きれいに生地に包まれて具が隠れているものとは知らなかった。あたりを見回し、スマホでさっと料理の写真を撮る。よく揚がった皮はこんがり濃いキツネ色で、耳をすませばまだ、油が弾けるちゅうちゅうという音がする。
 唾を飲み込み箸で持ち上げると、ずっしり重たい。前歯でばりりと皮を噛(か)んだ瞬間、「はつっ!」と声が出てしまった。歯型がついてひび割れ湯気を立てる春巻きに、ふうふう息を吹きかけて、もう一度かぶりつく。
「はつ、はつ、はつ」
 ばりばりとした揚げ皮から溢(あふ)れる、とろりとした熱々の具が口の中に入って、慌てて上あごと奥歯の間で転がす。尖った皮が上あごに刺さりそうだ。
 そうこうしているうちに春巻きの温度はいい具合に下がっていき、歯ごたえのいい皮から具がこぼれないよう、縦向きにかぶりつく。具は鶏肉もたっぷり入っていたけれど、全体的にしゃきしゃきしつつ優しい味で、あんがとろっとしていた。今まで食べていた春巻きとずいぶん違う。二本とも食べきった頃には、体がぽかぽか温まっていた。
 続いて来たのはエビ餃子と翡翠餃子。小ぶりの竹せいろの蓋を開けると、湯気の向こうに、蒸された餃子が四つ、可愛(かわい)らしく並んでいた。ふっくり透き通った皮のひだに、うっすらピンク色が見える方がエビ餃子、つやつやしたきれいな緑色の方が翡翠餃子。
 私は小皿にお醤油(しょうゆ)と、少し考えてからお酢を注ぎ、箸の先でエビ餃子をつまむ。弾力があって、うっかりするとつるっと滑って落としてしまいそうだ。用意されたレンゲを左手に持ち、箸と挟むようにして小皿まで運ぶ。よしよし、いい子だ、落っこちるなよ。そんなことを考えながらちょんと酢醤油をつけ、ひと口食べると、たちまちエビのいい香りとぷりぷりした食感が押し寄せてきた。「んー」思わず声が漏れる。エビってどうしてこんなに美味しいんだろう。

プロフィール

深緑野分(ふかみどり のわき) 1983年神奈川県生まれ。2010年「オーブランの少女」が第7回ミステリーズ!新人賞で佳作に入選。
13年に同作を含む短編集『オーブランの少女』でデビュー。
他の著書に『戦場のコックたち』『分かれ道ノストラダムス』『ベルリンは晴れているか』『この本を盗む者は』がある。

Back number