よみもの・連載

おひとりさまごはん

ひとりで飲茶

深緑野分Nowaki Fukamidori

 焼き餃子が来た時、係のお姉さんはにこにこしながら、私の前に置いてくれた。
「どうぞ召し上がれ!」
「ありがとう!」
 真っ白い皿にふたつ並んだ焼き餃子の焼き目は、完璧だった。真ん中あたりの色が濃く、きゅっと尖った端っこは少し淡い、まだらなきつね色が一層美味しそうに見える。大ぶりの焼き餃子を箸でつつくと、焼き目はぱりっと固くて、まわりの白い皮はもちもちと弾力があった。はあ、こんなに胃袋が満杯なのに、もう食べたい。
 翡翠餃子やエビ餃子で使って汚れた小皿から、新しい小皿に切り替える。なんというか、新しくお迎えすべき、という気持ちになったのだ。お酢と醬油、ラー油を自分の好きなように(つまりお酢を多めで)混ぜ、さあ、焼き餃子を箸で持ち上げよう。
 はふ。ふう。熱々の大ぶりの焼き餃子に息を少し吹きかけて、はぐ、とひと口。軽やかな焼き目をぱりりとかじった瞬間、ぶわっと香るにんにくとニラ、みっちり濃い豚肉の味が舌から鼻へ突き抜ける。上あごを火傷しそうな熱々の肉汁が、封印を解かれたかのごとくじょばっと広がった。
「んんんんんん」
 酢醤油の酸っぱさと相俟(あいま)って、ああ、なんとも、なんとも、この世にこれ以上うまいものがあるんだろうか、とさえ思う。どうしたら豚の挽肉(ひきにく)にキャベツとニラとにんにくとネギを混ぜて、皮で包んで蒸し焼きにする、などというコンビネーションを思いつくことができるんだろうか。これは世紀の大発明だ。焼き餃子は人類の奇跡である。
 ぱりぱりした焼き目も好きだし、絶妙に水分を含んでぷくっとした皮も大好きだ。家で母と弟と一緒に餃子を包む時の皮とはだいぶ違う。あれは薄くて、それはそれでとても美味しい、でもこの焼き餃子の少し厚めのもちもちはちょっとすごい。いつだったかテレビで見た、手作りの皮ってやつだろうか。
 焼き餃子はけっこうな大ぶりだけれど、ひと口食べればもう半分はなくなってしまい、とても悲しい。しかしメニューどおり四個にしていたら食べ残したかもだし、これは「存分に、大事に、二個を味わうべし」って神様の裁量だったのだと思うことにする。もう半分をひと口で頬張り口を閉じたまま味わえば、火花が頭の中でスパークした。
 大事に食べようと誓ったはずなのに気がついたら皿は空で、焼き餃子は二個とも私の胃の中に収まってしまった。ちょっと、いや、相当お腹が苦しい。椅子の背もたれの上辺がちょうど首のあたりだったので、行儀が悪いけれど頭を置かせてもらう。
「はあ……お腹いっぱい。でも幸せ」
 すると係のお姉さんがお茶のお代わりはいかがと訊いてくれたので、せっかくだしと頼んだ。やってきたのは翡翠色のポットに入った温かい烏龍茶で、同じ色の湯飲みに注げば、たちまち良い香りが漂って、はちきれそうなお腹ともどもほっとする。

プロフィール

深緑野分(ふかみどり のわき) 1983年神奈川県生まれ。2010年「オーブランの少女」が第7回ミステリーズ!新人賞で佳作に入選。
13年に同作を含む短編集『オーブランの少女』でデビュー。
他の著書に『戦場のコックたち』『分かれ道ノストラダムス』『ベルリンは晴れているか』『この本を盗む者は』がある。

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