よみもの・連載

おひとりさまごはん

ひとりで飲茶

深緑野分Nowaki Fukamidori

 急いでハンドバッグから招待状を出して、私の名前がしっかり書かれた封筒を入口にいた編集者らしき人に見せる。
「あの、入ってもいいですか?」
「ああ、もちろんどうぞ」
 よかった、断られたら意地でもここで粘ってみえちゃんに来てもらうところだった。
 いざ参らん、と会場へ一歩足を踏み出したものの、外から眺めているよりも広く感じるし、ホテルの制服を着た人が通りすがりざまにこちらをじろっと睨んだ気がするし、どうにもまごついてしまう。あわあわしているとスマホがピロンと鳴った。弟からだった。
『何やってんだ、ちゃんとみえっぺの晴れ姿を撮ってこいよ!』
 そうだ。私はふんぬと腹に力を入れる。さっき食べた飲茶が「応!」と答えた気がする。食べ物って不思議だ。お腹が空いていたらきっと、前に進む勇気なんか出なかった。
「み、みえちゃん!」
 声をかけると、みえちゃんははっと顔を上げてきょろきょろするので、私は手を上げて大きく振って見せながら近づいた。
「ここ!」
「はるちゃん!」
 メガネをかけたみえちゃんが笑顔になる。そう、社交用≠カゃないみえちゃんの笑顔は花が開くみたいにぱあっと華やかで、ほっぺたにえくぼができるのだ。私はハイヒールと足さばきの悪いタイトスカートに心の中で悪態をつきつつ、小走りで彼女の元へ向かった。
 私たちは両腕を伸ばし互いの肘のあたりを触り(恥ずかしいので抱き合うのは憚〈はばか〉られるけれども近づきたい親愛の情は双方にあるからこのあたりで濁すのだ)、紆余曲折(うよきょくせつ)の後の再会を喜んだ。
「よかったあ、来られなくなったのかと思った」
「いや本当にごめん。っていうか最初から来てたんだけど、会場が混みすぎてて入れなくて……でもおめでとう。私もすごく嬉(うれ)しいよ!」
「ありがとう。はるちゃんのワンピース、とっても素敵だね。よく似合ってるよ」
 えっ、そうかな? これはどこそこで買ってね、それより写真を撮らせてよ……と言おうとすると、みえちゃんの両脇にいたふたりの女の人がやって来て、紹介された。ひとりは担当編集者、もうひとりは文芸誌の編集長だそうで、私まで名刺をもらって、混雑ぶりを謝られてしまった。
「申し訳ありませんでした、三条さんの受賞作はとても評価が高くて、あちこちから人が集まったようです」
「お料理食べてないんじゃないですか? まだ残っていますから、片付けられる前に少しくらい」
 などなどと勧められ、私は照れやらなにやらで頭を掻(か)きながら、どうしても中に入れなかったため、すごすご引き返し、地下の中華レストランで今し方まで飲茶を堪能していたのだと打ち明けた。
「いやあ、幼なじみが小説家になるなんて。お腹はいっぱいだし幸せだし、人生の華ここにありですね、あはは」
 だらしなくゆるむ頬をそのままにへらへら笑っていたら、みえちゃんが吹き出した。
「やだ、はるちゃん。前歯!」
 そう言ってけらけら笑いながら、みえちゃんはポーチからコンパクトミラーを出して渡してくれた。その小さな鏡に映った私の前歯には、さっき食べたニラのかけらがぺったりくっついていて、美味しい思い出と一緒に微笑んでいた。
 急いでティッシュで拭い取る。するとみえちゃんは編集者さんを呼んだ。
「朝田(あさだ)さん、写真撮ってもらえますか? 私とはるちゃんの」
「ええ、もちろんです」
 みえちゃんは私の腕に腕を絡ませると、にっこりと、とても幸せそうに笑った。

(了)

プロフィール

深緑野分(ふかみどり のわき) 1983年神奈川県生まれ。2010年「オーブランの少女」が第7回ミステリーズ!新人賞で佳作に入選。
13年に同作を含む短編集『オーブランの少女』でデビュー。
他の著書に『戦場のコックたち』『分かれ道ノストラダムス』『ベルリンは晴れているか』『この本を盗む者は』がある。

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