連載
珈琲店マダムシルクのサイバー事件簿
第1話 二〇一六年 初夏 監視アプリ2 一田和樹 Kazuki Ichida

 マダムシルクに続く階段は、夕暮れになっていっそう不穏な雰囲気を醸し出していた。お化け屋敷みたいだな、と思いながら階段を下りる。
 かすかな扉のきしみとともに中に足を踏み入れると、凪(なぎ)の姿を認めたマスターがカウンターの向こうから会釈した。奥の席には、さきほどの女性客がいる。ずっとこの店にいたのだろうか?
「呼び出して、すまないね」
 この声を聞くと妙に安心すると思いながらマスターの前に立つ。
「いえ。こちらこそ、すみません。忘れ物ってなんでしょう?」
「申し訳ない。あれは君を呼び出すためのウソだ」
 マスターは悪びれた様子もなく答え、凪はあっけにとられた。
「えっ。どういうことです?」
「ちょっと気になることがあって君に確認しておきたかったものでね」
「あの、いろいろ訊きたいんですけど。なんで、僕の電話番号を知っているんですか?」
「最初に訊くのはそこじゃない」
 マスターは、そう言うと、なおも質問を続けようとする凪を掌で制した。
「君はあのアンチウイルスソフトのサイトに電話番号とメールアドレスを登録しただろう? それがここの防犯カメラに写っていたんだ。特殊なヤツでね。解像度が高いからスマホの文字までわかる」
 マスターは天井の四隅を順に指さした。その先には、黒く丸いものがある。暗い内装の中に溶け込んでいて目をこらさないとわからない。あの丸いものが、カメラなのかと凪は驚いた。
「プライバシー侵害だなんて言わないでくれよ。今はどこの店も防犯カメラくらいつけている。そのおかげで君が陥っているトラブルもわかった」
 理屈はわかるが、納得はできない。それにしても、さきほどからマスターが口にしている、トラブルとか気になること、とはなんだろう?
「まあ、座ってくれ。珈琲を淹れたところだ。これはサービスだ」
「あ、ありがとうございます」
 湯気の立つカップがカウンターに置かれ、やむなく凪はその席に腰掛ける。
「少年、心配してもらえるうちが華だよ」
 凪の当惑を見透かしたように、奥の女性が声をかけてきた。からかわれたような気がして、凪はむっとした。
「君のスマホは監視されている」
 マスターはカウンターの内側にある椅子に腰掛けながら断定的に言い放った。
「監視? もしかしてマルウェアのことですか?」
「近いけどちょっと違うんだなあ」
 また奥の女性だ。マスターが、しょうがないという表情で肩をすくめる。妙な胸騒ぎに襲われた。自分のスマホから個人情報が漏れていたのかもしれないという不安や、マスターやあの女性がなにか仕掛けたのかもしれないという疑いが頭に浮かんでくる。忘れ物だなんて騙されて、まんまと呼び出されてよかったのだろうか?



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〈プロフィール〉
一田和樹(いちだ かずき)
東京生まれ。経営コンサルタント会社社長、IT企業の常務取締役などを歴任後、2006年に退任。 10年、「檻の中の少女」 で島田荘司選 第3回ばらのまち福山ミステリー文学新人賞を受賞し、デビュー。 著書に『女子高生ハッカー鈴木沙穂梨と0.02ミリの冒険』『天才ハッカー安部響子と五分間の相棒』『キリストゲーム』『絶望トレジャー』など。 http://www.ichida-kazuki.com/ Twitter:@K_Ichida
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