連載
珈琲店マダムシルクのサイバー事件簿
第4話 二〇一六年冬 迷い道(後編) 一田和樹 Kazuki Ichida

「わかりません」
 凪(なぎ)には想像もつかない。
「最初はパソコンの中にあるデータ、次はパソコンまるごと、その次はネットワークの中のデータ。次に来るのはネットワークまるごとだろう」
 マスターは首を振った。凪はネットワークまるごとと聞いて少し驚いたが、その意味がすぐにはわからない。
「ネットワークにつながっているもの全てを使えなくするんですか?」
「そう。狙われるのは、使えないと困るようなネットワークを持っているところだ。銀行の決済ネットワークや工場の監視制御ネットワーク」
 どきりとした。確かに使えないと困る生活のインフラだ。
「そんなことできるんですか? だってそんな大規模で重要なものだと防御も固いはず……」
 言いかけて凪は口をつぐんだ。そうだ。大規模になればなるほど、隙が生まれる余地ができる。重要になればなるほど、攻撃してくる相手も増えて破られる危険性も高くなる。
「大規模で重要なものだからこそ、狙われるし、破られることもある。もうひとつ大事なポイントがある。緊急度が高いものを狙うんだ」
「緊急度?」
「たとえば病院のカルテシステムはすぐに使えないと困る。命にかかわるからな。実は、すでに病院のシステムはターゲットにされていて、多額の身代金を支払ったケースもある」
「もうそんなことが起きてるんですか?」
「そうだ。時代は想像よりも早く進んでいる。サイバー攻撃を受けて韓国のATMが停止する事件があった。国中のATMが人質に取られる事件も起こるかもしれない」
「そこまでするとほとんどテロか戦争ですね」
「サイバー空間では、犯罪もテロも戦争もやっていることは似通っている。使う技術やツールが同じだから、厳密に分けることは難しいだろう。逆に言うと、戦争なみの規模のサイバー犯罪が起きても不思議はない」
「なんか話が大きくなりすぎて、ついてゆけません。マスターの言うことは頭では、なんとなくわかるんですけど、実感がわかないんです。戦争だって実際に起きるまでは実感わかないんでしょうね。そういう意味ではわからない方がふつうなんでしょうか」
「オレもそれがふつうの感覚だと思う。最近、あいつらがやったのはもっと現実味のない犯罪だ。国家を人質に取った」
「国家?」
「そうだ。国そのものだ。凪は選挙に行ったことがあるかい?」
「はい」
「鉛筆で紙に記入しただろう? ひどく非効率だし、無効票も出やすい。仮にタッチスクリーンを押すだけで投票できて、投票時間が終わるとすぐに集計できる仕掛けだったらどうだ? 本人確認もマイナンバーで済むとしたら?」
「すごく便利ですね」
「その通りだが、利便性は脆弱性につながりやすい。日本では電子投票はまだだが、あいつらは、電子投票を導入していたある国の投票データを投票中に暗号化してしまったんだ。つまり、国そのものを人質にしたようなものだ」



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〈プロフィール〉
一田和樹(いちだ かずき)
東京生まれ。経営コンサルタント会社社長、IT企業の常務取締役などを歴任後、2006年に退任。 10年、「檻の中の少女」 で島田荘司選 第3回ばらのまち福山ミステリー文学新人賞を受賞し、デビュー。 著書に『女子高生ハッカー鈴木沙穂梨と0.02ミリの冒険』『天才ハッカー安部響子と五分間の相棒』『キリストゲーム』『絶望トレジャー』など。 http://www.ichida-kazuki.com/ Twitter:@K_Ichida
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