連載
珈琲店マダムシルクのサイバー事件簿
第五話 晩冬 金融情報サービスの罠(後編) 一田和樹 Kazuki Ichida

 東欧エストニアの首都タリン。絵画のように美しい町並みの中の古いアパートの一室でひげだらけの顔の男が、大型モニターをにらみながらキーボードを叩いていた。コットンのカーディガンを羽織っただらしない姿で、ぼさぼさの髪をかきあげ、あくびをかみ殺している。

 彼こそがさきほど、凌(りょう)から指示を受けていた男だ。日本から遠く離れたこの地で、”安心フィナンシャルアドバイザー”の記事のための「事件」を生み出そうとしている。

「R銀行の口座を狙うマルウェアね」

 そうつぶやきながらマウスをクリックすると、画面いっぱいに一覧表が表示された。ずらりと個人名やメールアドレス、活動内容などが並ぶ。凌の主宰するダークウェブ”ヘルレイズ”で販売したマルウェアの利用者のデータベースは、単に連絡先を網羅しているだけではない。マルウェアに仕込んでおいた監視機能で、利用者がどのような犯罪行為を行っているかも把握し、データベースに盛り込んでいる。ターゲットや被害金額、あるいは犯行日時も検索できるようになっている。

「多すぎだろ」

 男は笑いながら、そう言うと表を上から下まで目でなめる。

「被害者が多い方がいいよな」

 感染数をクリックすると、一覧は感染者数の多い順に並ぶ。全くもって現実味がない。このひとりひとりが、ダークウェブ”ヘルレイズ”でマルウェア開発キットを手に入れたサイバー犯罪者なのだ。上位の者はすでに数万人にマルウェアを感染させ、億単位の利益を得ている。

「この三人なら、凌さんも文句言わないよな。かわいそうに、もうすぐシャバとお別れだ」

 ひとりずつクリックしてチェックマークをつけるが、三人目をクリックしようとして手を止めた。

「こいつはまずい。腕利きだ。怒らせると後が怖い」

「腕利き? そんなのがうちのマルウェア開発キットを買うの?」

 向かいの席で仕事をしている女が、ディスプレイ越しに話しかけてきた。この事務所を一緒に切り盛りしている相棒だ。髪を金色に染めた日本人の女。一年以上、ここで仕事をしているが、プライベートのつきあいは、ほとんどない。

「そういう物好きも、たまにいるから注意しないといけない。腕利きだとオレが通報しても逃げられる可能性があるし、その後に復讐される可能性もある」

 男はそう言うと、三番目をスキップして四番目をチェックした。これでニュースにするための犠牲者は決まった。

「腕利きねえ。そいつもダークウェブを運営してる同業者だったりして。こっちの様子をうかがうために試しに買ってるとか」

「他の業者のサービス内容をチェックしてるってのか? ない話じゃないかもな。それなら、ますますヤバイ。オレたちがやってることに気づかれたら面倒だ」

 その時、女のパソコンから音楽が鳴り出した。どこからか通話が着信したのだ。女はあわてて、ヘッドセットをかぶる。

「”ヘルレイズ”カスタマーサポートです。なにかお困りでしょうか?」

 さきほどより一オクターブ高い声で女が応じる。通話を受けると同時に、相手のプロフィールや購入履歴、犯罪歴がモニターに表示される。


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〈プロフィール〉
一田和樹(いちだ かずき)
東京生まれ。経営コンサルタント会社社長、IT企業の常務取締役などを歴任後、2006年に退任。 10年、「檻の中の少女」 で島田荘司選 第3回ばらのまち福山ミステリー文学新人賞を受賞し、デビュー。 著書に『女子高生ハッカー鈴木沙穂梨と0.02ミリの冒険』『天才ハッカー安部響子と五分間の相棒』『キリストゲーム』『絶望トレジャー』など。 http://www.ichida-kazuki.com/ Twitter:@K_Ichida
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