連載
珈琲店マダムシルクのサイバー事件簿
第七話 初春 ラスト・リゾート(後編) 一田和樹 Kazuki Ichida

 だったら見逃してくれてもいいじゃないか、と言いそうになるのをこらえた。これ以上は、言ってもしょうがない。自分がよけいに惨めになるだけだ。
「内山がこちらに来るそうだ。少しだけ待とう」
 マスターが静かな口調でつぶやいた。凪は力なくカウンターに突っ伏した。泣きそうになったが、涙は出なかった。ただ、ひたすら重く昏(くら)い気持ちに押しつぶされそうになる。走馬燈のように昔のことが頭に蘇る。

 初めて恋人ができたのは高校一年生の時だった。同じクラブの先輩を好きになってしまったが、同性ということもあり怖くて告白はできなかった。それまで何度も恋をして、なにもできずに終わっていた。もしかしたら、自分は一生誰ともつきあうことができないのかもしれないという畏(おそ)れすら抱いていた。
 でも、ある日の部活が終わって、ひとりで歩いていると、その先輩が後ろから追いかけてきて、カラオケに誘われた。興奮と緊張でよくわからないまま、一緒に歌を歌い、気がつくと抱きしめられていた。
 口づけされた時は全身が痺れ、なにも考えられなくなった。その先輩とは一年間つきあったが、先輩の卒業と共に自然消滅してしまった。
 その後の二年間の高校生活で、三人とつきあい、別れた。なんとなく誰かがいないとさみしいからつきあっているだけのような関係だった。最初につきあった先輩だけが本当の恋人だったような気がした。もしかしたら、自分はこのまま二度と誰も好きになれないのかもしれないと本気で悩んだりした。
 凌と初めて会ったのは大学に入学したばかりの頃だった。
 慣れない酒に酔って道端にしゃがみ込んでいると声をかけられた。
「だらしないな。ついてこい」
 見上げた顔の冷たい美しさに惹かれ、気がつくと彼の部屋にいた。やさしい言葉も甘い口説き文句もなかった。「黙れ」、「こうされたかったんだろ」、「言う通りにしてろ」そんな風に命令され、従った。なんで、自分はこんなにも従順なのだろうと思ったが、催眠術にかかったように凌の言われるがままにしていた。
「お前は、オレの持ち駒だ」
 そう言われて、うれしくなった。自分の頭はおかしくなっていたのかもしれない。運命を感じた。
 凌は、それまでの誰とも違っていた。月のように冷たく輝く、夜の王だ。そして時折、あたたかくやさしい。だから、はまる。いつもやさしい男には魅力がない。これまでつきあった相手は、みんなやさしかった。だから、自分の心になにも残らなかったのだと凪は納得した。
 冷たくされ、時にはきつい言葉や行動で深く傷つけられるほどに思いが募る。憎しみすら湧いてくる。でも、あたたかく抱きしめられ、やさしい言葉をかけられると全ての感情が蜜のようにとろけてしまう。自分でもバカだと思う。都合のいい相手とはこのことだ。
 騙されて利用されて捨てられる都合のいい女の話を聞いて、バカだなと思っていた。でも、いざとなったら自分もそうなってしまった。騙されてもいいと思ってしまうのだから、どうしようもなく愚かだ。



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〈プロフィール〉
一田和樹(いちだ かずき)
東京生まれ。経営コンサルタント会社社長、IT企業の常務取締役などを歴任後、2006年に退任。 10年、「檻の中の少女」 で島田荘司選 第3回ばらのまち福山ミステリー文学新人賞を受賞し、デビュー。 著書に『女子高生ハッカー鈴木沙穂梨と0.02ミリの冒険』『天才ハッカー安部響子と五分間の相棒』『キリストゲーム』『絶望トレジャー』など。 http://www.ichida-kazuki.com/ Twitter:@K_Ichida
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