連載
珈琲店マダムシルクのサイバー事件簿
第七話 初春 ラスト・リゾート(後編) 一田和樹 Kazuki Ichida

 最初は凌の身代わりになって、金の受け渡しをした。自分が利用されていることはわかっていた。これから先も凌の言うことをきき続ければ、もっと堕(お)ちてゆくだろう。わかっていても止めることはできなかった。どうせいつか死ぬのだ。本当に好きになった相手に殉じるなら、それ以上の喜びはないだろう。いつ、どこで、誰のために生まれるかは自分で決められないが、誰のために死ぬかは決められる。
 自分は凌のために死ぬのだ。凌が抱いている加村という男への愛と憎しみのために自分は望んで犠牲になる。そんな気持ちに酔っていた。
 霧香とつきあい始めたのも、凌の差し金だった。彼女がいた方が加村は信用するという、ただそれだけの理由だった。そんなことのために、他人の気持ちを踏みにじるのは心が痛むから、かわいいだけのわがままで評判の悪い女の子を選んだつもりだった。
 だが、違っていた。霧香はただ不器用なだけだった。きれいな面立ちをしているから、男子に目を付けられやすく、つきあえばすぐに不器用さを露呈してケンカ別れになってしまう。
「相手を信用させて利用するためにも寝た方がいい」
 凌にそう言われた時、自分とのこともそうなのかと胸がざわついた。でも、それでもいい。この冷たい悪魔のためなら死んでもいい。そんな風に納得した。
 だが、霧香に同じことができるのだろうか? 愛しているふりをして抱いて利用する。自分も凌のような悪魔にならなければならない。
 やるしかない。さもなければ凌に捨てられてしまうかもしれない。だが、なかなか実行することはできなかった。結局、霧香の気持ちに押されるようにして関係を持ってしまった。
 霧香はかわいいし、好きだが、それは恋愛感情ではない。あんなにきれいな少女だったら、誰でも好意を抱く。時々、挙動不審になるのも凪にとってはかわいい。
 キスした時も抱いた時も後ろめたい申し訳なさが常にあった。凌のためとはいえ、とんでもなく非道なことをしている自覚はあった。
 部屋でひとりになるたび、罪の意識に苛(さいな)まれた。凌との通話だけが唯一の支えだった。でも、凌と通話するためには彼の言うことをきかなければならない。言うことをきけば、また霧香や加村を騙すことになる。終わらない悪循環だ。
 つらさが頂点に達した頃、凌が店にやってきた。
「敵情視察だよ。君がちゃんとやってるかも気になったしね」
 後で凌はそう説明した。本当はマスターの顔を見たかったに違いない。かつて、愛し合った相手。今は敵と味方に分かれて探り合い攻撃し合っている相手。
 ふたりが憎しみといらだちと愛情をないまぜにした会話をしているのを聞くのはつらかった。自分の居場所は、そこにない。
 昨晩、貸し切り客の会話のデータを送った後で、凌と通話した。
「首の皮一枚でサバイバルしたってとこかな。助かったよ」
 凌は楽しそうだった。マスターを出し抜けたのがうれしいのだろう。



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〈プロフィール〉
一田和樹(いちだ かずき)
東京生まれ。経営コンサルタント会社社長、IT企業の常務取締役などを歴任後、2006年に退任。 10年、「檻の中の少女」 で島田荘司選 第3回ばらのまち福山ミステリー文学新人賞を受賞し、デビュー。 著書に『女子高生ハッカー鈴木沙穂梨と0.02ミリの冒険』『天才ハッカー安部響子と五分間の相棒』『キリストゲーム』『絶望トレジャー』など。 http://www.ichida-kazuki.com/ Twitter:@K_Ichida
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