連載
下町やぶさか診療所
第二章 二人三脚・前 池永 陽 You Ikenaga

 そうだ、その手があった。麻世を看護師にする――そうすれば何があろうと、一生食いっぱぐれはないはずだ。それに、あの強い性格は看護師に向いているかもしれない。まさに名案中の名案だ。
 一人で納得していると、
「何だよ、妙な顔をして。どうしたんだよ、何を考えてんだよ」
 敏之が覗きこむように顔を見た。
「いや、看護師ってのは、実に頭の下がる立派な仕事だと、つくづく思ってな」
「そりゃあまあ、そうだけどよ」
 敏之の気のない返事をさえぎるように、
「大先生、その麻世ちゃんって子、一度ここに連れてきてくださいよ。じっくり話もしたいし顔も見たいし」
 よく通る声で夏希がいった。
「ここへって、女子高生を酒場に連れてくるのはちょっとまずいんじゃねえか」
「何を古くさいことをいってるんですか、大先生は。今はこの手の店でアルバイトをする女子高生もいっぱいいるっていう、ご時世ですよ。それに、昼間のうちっていう手もあるじゃないですか」
 どういう加減か、夏希はえらく熱心だ。
 さて、どうしたものかと麟太郎は考えつつ、会わせてみるのも面白いかもしれないと、ふと思う。正統派美人の夏希と、その夏希よりもモテ度は上だという麻世の対決。ひょっとしたら、これは相当の見物(みもの)では――そんな野次馬根性が胸をよぎる。
「考えとくよ」
 と機嫌よくいうと、
「じゃあ、ゲンマン」
 夏希は右手の小指を突き出した。
 指切りだ。麟太郎もすぐに右手の小指を出して夏希の指にからませる。そんな様子を敏之が羨(うらや)ましそうな目で見ていた。
 それから三十分ほどして、麟太郎は敏之と二人で『田園』の外に出る。
 そろそろ深夜の一時近くで、辺りは静まり返っている。そんななかに足音らしきものが響いてきた。
「誰か、夜のジョギングでもしてるのか」
 敏之の訝(いぶか)しげな声に重なるように、足音はどんどん近づいてくる。月明りのなかに浮んでいるのは二つの人影だ。前後に重なるようにして歩いてくる。
「矢田さんだ」
 喉につまった声を敏之があげた。
 さっき、噂にのぼった矢田夫婦が深夜の通りを歩いてくる。かなりの速度らしく、二人はすぐに麟太郎と敏之の前にやってきた。久子が前で雅勝がその後ろだ。
「おつきそいですか……」
 麟太郎はすまなさそうな声を出す。
「これは、大先生。とんだところで」
 矢田はていねいに頭を下げ、
「こいつが外に出たいって、聞かないもんで。それで何か間違いがあっても困りますから、こうしてついて歩いています」
 抑揚のない声でいった。



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〈プロフィール〉
1950年愛知県豊橋市生まれ。グラフィックデザイナーを経て、コピーライターとして活躍。98年「走るジイサン」で第11回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。2006年、『雲を斬る』で第12回中山義秀文学賞を受賞する。著書に『ひらひら』などがある。

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第八章 麻世の決断・後(最終回)
第八章 麻世の決断・前
第七章 スキルス癌・後
第七章 スキルス癌・前
第六章 妻の復讐・後
第六章 妻の復讐・前
第五章 幸せの手・後
第五章 幸せの手・前
第四章 底の見えない川・後
第四章 底の見えない川・前
第三章 怒る子供・後
第三章 怒る子供・前
第二章 二人三脚・後
第二章 二人三脚・前
第一章 左手の傷(後)
第一章 左手の傷(前)