連載
下町やぶさか診療所
第二章 二人三脚・前 池永 陽 You Ikenaga

 しばらく食べることに専念していると、玄関の扉が開く音が聞こえてきた。はて誰だろうと思っていると、息子の潤一が片手をあげて居間兼食堂に入ってきた。
「何だ、お前。今頃?」
 怪訝な面持ちを浮べると、
「ちょっと体が空いたから、久しぶりに実家で飯を食わせてもらおうと思ってさ」
 顔中を笑いにして潤一はいう。
「実家で飯をなあ――お前にしたら珍しいことだなあ」
「親父より喧嘩が強いという、麻世ちゃんの料理がむしょうに食べたくなってさ。それできてみたんだけど、まだ飯は残っているのかな」
 麻世の顔を窺うように見た。
 潤一には麻世がここで暮すいきさつを電話で、ざっと話してあった。ただひとつ、強姦の件を除いてではあったが、そのあたりはうまくつじつまを合せたつもりだ。潤一が麻世と顔を合せるのはこれで二度目だった。
「残ってるよ。食べたかったら、自分で持ってくるといいよ」
 麻世が素気なくいった。まだ潤一にはなついていないようだ。
「おっ、これは手厳しいな。しかしまあ、自分のことは自分でやらないとな。じゃあ、麻世ちゃん、いただくよ」
 潤一はこういって台所に立ち、歓声をあげる。
「おっ、肉とキャベツのごった煮か。これはいかにもうまそうだ」
 とたんに、麻世の肩がぴくっと動いた。
 どうやらこの二人、かなり相性が悪そうである。
 あとは潤一がロールキャベツを頬張ったとき、どんなことをいうかだが。麟太郎は興味津々の思いで、これからの展開を見守る。
 そんな麟太郎には目もくれず、潤一は手早くロールキャベツを皿に盛ってテーブルに運ぶ。あとは味噌汁と飯。これも手際よくテーブルに並べる。そんな様子を麻世は無言で見つめている。
「じゃあ、いただきます」
 潤一は両手を合せてから箸を取り、まずロールキャベツを口に運ぶ。無造作に放りこんで、ゆっくりと咀嚼(そしゃく)する。
「うまいなこれは。なかなかのもんだ」
 こんな言葉が口から飛び出した。
「嘘っ!」
 麻世が凛(りん)とした声をあげた。
「えっ!」
 驚いて顔をあげる潤一に、
「不器用な私が料理の本を見ながら、つくったもんだよ。うまいはずがないじゃないか。それにね、おじさん」
 じろりと潤一の顔を睨んだ。



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〈プロフィール〉
1950年愛知県豊橋市生まれ。グラフィックデザイナーを経て、コピーライターとして活躍。98年「走るジイサン」で第11回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。2006年、『雲を斬る』で第12回中山義秀文学賞を受賞する。著書に『ひらひら』などがある。

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第八章 麻世の決断・後(最終回)
第八章 麻世の決断・前
第七章 スキルス癌・後
第七章 スキルス癌・前
第六章 妻の復讐・後
第六章 妻の復讐・前
第五章 幸せの手・後
第五章 幸せの手・前
第四章 底の見えない川・後
第四章 底の見えない川・前
第三章 怒る子供・後
第三章 怒る子供・前
第二章 二人三脚・後
第二章 二人三脚・前
第一章 左手の傷(後)
第一章 左手の傷(前)