連載
下町やぶさか診療所
第二章 二人三脚・前 池永 陽 You Ikenaga

「それは、ごった煮じゃなくて、ロールキャベツ。正式な名前はそういうの。わかった、おじさん」
 麻世はおじさんを連発する。
「ロールキャベツだったか、これは。いわれてみればそんな気も。いや、申しわけない。だけど、味がそれほど悪くないのは、嘘じゃないから」
 慌てて弁解じみたことをいうが、それに対して麻世はまったくの無反応だ。潤一の顔に見る見るうちに困惑の表情が浮んでくる。潤一のこれまでの日常とはまったく勝手の違う展開らしく、どうしたらいいかわからない状況のようだ。
「それなら、嘘も方便で、どうかな」
 ようやく言葉を出した。
「どういうこと?」
 麻世が話に乗ってきた。
「世の中には、ついてもいい嘘があるということだよ」
 諭(さと)すような口振りに、
「この料理に限っていえば、駄目な嘘にきまってるじゃない」
 一刀のもとに麻世は斬りすてた。
「それなら、長い物には巻かれろというのは、どうかな」
 と潤一はいうが、麻世の返事はない。
「じゃあ、勝てない喧嘩はしないということで、許してもらえないだろうか」
「勝てない喧嘩って?」
 口を開く麻世に、
「柔道の猛者の親父より喧嘩が強いってんだから、生まれてから一度も殴り合いをしたことのない俺に歯が立つわけがない。という意味にとってもらえばいい」
 低い声で潤一がいう。
「一度も殴り合いをしたことがないの。男のくせに一度も……」
 ぱかっと口を開けて麻世は潤一を見た。
「大体の普通の男は、そんなもんじゃないのかな。殴り合いをしたことのある男って、ごく少数だと俺は思うけど……俺のいってること間違ってるかな、親父」
 麟太郎に視線を向けた。
「そんなこと、俺は知らん」
 麟太郎も一刀のもとに斬りすてた。
「それで話がわかったよ。おじさんと波調が合わないのは、その理屈っぽさだよ。私は単純明快な人としか合わないから。だけど、じいさんは単純明快そのものなのに、なんでその子供が」
 不思議なものでも見るような目を麻世は潤一に向けた。潤一の両耳がわずかに赤くなるのがわかった。そのとき麟太郎の脳裏に、以前看護師の八重子のいった言葉が突然浮びあがった。麻世を診療所に置くための了解を八重子に求めたときのことだ。
「かわいそうな境遇よりも、まさか、あの子の可愛らしさに目が眩(くら)んで、ここに引き取る気になったんじゃないですよね」
 八重子はこういったのだ。



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〈プロフィール〉
1950年愛知県豊橋市生まれ。グラフィックデザイナーを経て、コピーライターとして活躍。98年「走るジイサン」で第11回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。2006年、『雲を斬る』で第12回中山義秀文学賞を受賞する。著書に『ひらひら』などがある。

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第八章 麻世の決断・後(最終回)
第八章 麻世の決断・前
第七章 スキルス癌・後
第七章 スキルス癌・前
第六章 妻の復讐・後
第六章 妻の復讐・前
第五章 幸せの手・後
第五章 幸せの手・前
第四章 底の見えない川・後
第四章 底の見えない川・前
第三章 怒る子供・後
第三章 怒る子供・前
第二章 二人三脚・後
第二章 二人三脚・前
第一章 左手の傷(後)
第一章 左手の傷(前)