連載
下町やぶさか診療所
第二章 二人三脚・前 池永 陽 You Ikenaga

 ひょっとして潤一は麻世のことを……と考えてみて二人は一回り以上も年が違うことに気がついた。しかし、年の違う夫婦などは世の中に掃いてすてるほどいる。となると将来、あるいは結婚ということも。そう考えてみて、まあそれならそれで、めでたいことで結構じゃないかという結論に落ちつく。もっとも今のままの麻世では困ってしまうが。
 と考えをめぐらしてから、しかし、これだけ相性の悪い二人がそんなことには。第一、麻世は軟弱な男が嫌いなようだし、潤一は頭はいいものの軟弱そのものの存在だし、まかり間違っても麻世が潤一を好きになることなどはあり得るわけがない。しかし、事は男と女の問題、何がどうなっても不思議ではないともいえる。それに潤一が本当に麻世を気にいってるかどうかも、今の段階ではわからないというのが実状なのだ。
 麟太郎はふっと吐息をもらし、
「麻世、そのへんで倅(せがれ)を許してやってくれねえか。何分こいつは、打たれ弱い体質に育っているからよ」
 と二人のやりとりに助け船を出す。
「別に私は、何でもいいよ」
 麻世はさらっという。
「潤一、お前はそのロールキャベツを理屈をたれずに有難くいただけ。それでこの場は万々歳で収まる」
 麟太郎の言葉に「はあ」と潤一は答え、ひたすら夕食を口に運ぶ。
 無理をしたのかどうかはわからないが、潤一は結局、ロールキャベツを二杯と飯を三杯食べて、自分の使った食器を洗い、
「腹一杯の夕食、ごちそうさまでした」
 と無難な言葉を麻世に投げかけて帰っていった。
 事件はその一時間ほどあとにおこった。
 自室に引っこんだ麟太郎が医学書に目を通していると、机の上に置いてあるケータイが音を立てた。画面を見ると、電話の主はあの矢田である。急いで耳に押しあてると、
「大先生、助けてください」
 泣き出しそうな矢田の声が聞こえた。
「どうしました、久子さんに何かあったんですか。怪我でもしたんですか」
 大声をあげると、
「ちょっと目を離した隙に、久子が家から出ていってしまいました。今、あちこちを捜し回っているんですが、一人ではとても捜しきれず、途方に暮れています。いったいどうしたらいいんでしょう」
 おろおろ声で矢田はいった。
「わかった。今どこにいるんですか」
 これも怒鳴り声をあげると、
「今戸(いまど)神社のあたりです」
 蚊の鳴くような声が聞こえた。
「じゃあ、とにかくここまできてください。今戸神社からならすぐでしょう。詳しい話を聞いてから動くことにしましょう」
 麟太郎は電話を切り、気合をいれるように分厚い手掌で両頬をぱんと叩いた。



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〈プロフィール〉
1950年愛知県豊橋市生まれ。グラフィックデザイナーを経て、コピーライターとして活躍。98年「走るジイサン」で第11回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。2006年、『雲を斬る』で第12回中山義秀文学賞を受賞する。著書に『ひらひら』などがある。

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第八章 麻世の決断・後(最終回)
第八章 麻世の決断・前
第七章 スキルス癌・後
第七章 スキルス癌・前
第六章 妻の復讐・後
第六章 妻の復讐・前
第五章 幸せの手・後
第五章 幸せの手・前
第四章 底の見えない川・後
第四章 底の見えない川・前
第三章 怒る子供・後
第三章 怒る子供・前
第二章 二人三脚・後
第二章 二人三脚・前
第一章 左手の傷(後)
第一章 左手の傷(前)