連載
下町やぶさか診療所
第三章 怒る子供・前 池永 陽 You Ikenaga

 さて、どんな結果になるのか。麟太郎は宙を睨んで太い腕をくんだ。

 だが、一日が過ぎ二日が過ぎても良太は診療所に姿を現さない。
 三日が過ぎて四日目の夕方になっても良太の姿は見えない。麻世はその間、ずっと早めに学校から帰ってきて待合室の奥に張りついている。口をへの字に結んだ仏頂面で、両目を閉じて。
「もう、きませんよ、あの子は。そろそろ諦めたらどうですか、大先生」
 八重子が慰めのような言葉を出す。
「そうかもしれねえけど、だけどよ」
 麟太郎は聞きとれないほどの声を出し、
「こなかったとしたら、行くしかねえよな。受診票にアパートの名前は書いてあったよな。確か、ここからそれほど離れてはいなかったような気がしたが」
 往生際の悪いことを口にした。
「行くつもりなんですか、大先生。それはちょっと、いくら何でも越権がすぎるような気がしますよ」
 呆れ声でいう八重子に、
「だけど、こねえんだったら、行くしか仕方がねえだろうよ」
 麟太郎が唇を尖らせたとき、診察室の扉をノックする音が聞こえた。
 八重子が扉を開けると、怖い顔をした麻世が立っていた。
「きたぜ、じいさん」
 それだけいって、すっと扉を閉めた。
「きたってよ」
 麟太郎は満面を笑みにして得意げに八重子にいい、診察室の扉をそっと開けて待合室を窺い見た。奥の椅子に良太はちょこんと座り、なんと隣には麻世がいた。
「八重さん、急いであの良太って男の子と麻世をここに連れてきてくれ」
 扉を閉めながら麟太郎は早口でいう。
「急いでって――患者さんの順番を無視していいんですか」
 今度は八重子が唇を尖らせた。
「そんなこといっても、このまま放っておいたら隣に座っている麻世が何を話しかけるか――その前にきちっとした筋の通った話をしねえとよ」
 麟太郎は独り言のようにいってから、
「そうだ八重さん。これは急患だ。医者としては誰をさしおいても、早急に診る義務がある。だからして――」
 叫ぶようにいった。



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〈プロフィール〉
1950年愛知県豊橋市生まれ。グラフィックデザイナーを経て、コピーライターとして活躍。98年「走るジイサン」で第11回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。2006年、『雲を斬る』で第12回中山義秀文学賞を受賞する。著書に『ひらひら』などがある。

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第八章 麻世の決断・後(最終回)
第八章 麻世の決断・前
第七章 スキルス癌・後
第七章 スキルス癌・前
第六章 妻の復讐・後
第六章 妻の復讐・前
第五章 幸せの手・後
第五章 幸せの手・前
第四章 底の見えない川・後
第四章 底の見えない川・前
第三章 怒る子供・後
第三章 怒る子供・前
第二章 二人三脚・後
第二章 二人三脚・前
第一章 左手の傷(後)
第一章 左手の傷(前)